幸せとは、寝る前に『今日はいい一日だったなぁ』と思えることと『明日が来るのが楽しみだなぁ』と思えることだと思います。
ここ数日、また気分が落ち込むようなことがあったもんだから、浮上しようと頑張る。
いやいや、頑張ろうと思う事自体がもう疲れる。
すぐ頑張ろうとしちゃうよな、自分。だけど、頑張らなくていいってどういうことだ。
ほーら、ぐるぐるし出したぞw
まあ、冷静さを取り戻せば、「また妄想劇場に取りつかれているだけだったわあぶねっっ」と我に返ることが出来るんだけどね。
今日などは、道路整理のおじさんに「ご迷惑おかけしています。あ、こちら渡られますか?はい、どうぞどうぞ」とニッコリされただけで泣きたくなりました。
なんて優しいの・・・と。
あと、いつもお世話になっているドライバーさんが「〇〇さーん、こんにちはー」と手を振ってくれた時も。
朝起きたとき、「今日はきっと最高の一日!」と唱えてるし、毎食前後には例の腹式呼吸をしている。テンション高めの恥ずかしいやつ。
過去記事⇒12月の実験
そうよ、あれからずっとやっているのよ。
人生激変って大きく謳われていたアレよ。でも、全然激変してないわっっ。
もう10か月以上やっているのに。
先日、人生は手作り迷路みたいなものだという例えを動画で観たという話を書きました。
幸せの方向性を決めるのはいきたい方に傾ければ自然にそっちにしかビー玉は動かないのだと。
右に曲がりたいのに箱が左に傾いていたら、どうあがいてもビー玉は左にしか行けない。
悩みを解決するのは簡単で、行きたい方に傾けさえすればいい。そしたら無駄に頑張る必要なんてない。自然にそっちに行く。
目指す方に傾けるにはどうしたらいいかっていうと『行きたい方は右』と決めるだけ。
拍子抜けする位に単純で簡単な原理。
わたしはちゃんと右に傾いていることを信頼していさえすればいいと。
これが頑張らなくていいという状態なんだと。
はぁぁ~・・・・知識では分かってんだよなぁ。
数年前、わたしは編み物という趣味を見つけました。
時々、土偶やらを編んでるあれですw
埴輪とか
土器とか
もともとは、オーソドックスにクマとか犬とかを編んでいて、そのうちにディズニーキャラクターとかジブリのキャラとか、知人友人に似せた人形とか、ウエディングドールとかを編みまくっていました。
もう、狂ったように編みまくっていましたw
「明日は何を編もうかな」とワクワクしていました。途中まで編んだ人形を、明日こそは仕上げるのが楽しみで今日編んだパーツを見てニヤニヤしてしまうくらいに夢中でした。
数学にハマっていた時もそうでした。
学生でもないのに、夜遅くまで因数分解の問題を何十問も解きまくっていました。
ついに微分積分のしっぽくらいは理解できた時は嬉しくて、授業動画を観まくっていました。
なのに、今、ぷっつりと糸が切れてしまった。
あんなに毎日楽しかったのに。
明日が来るのが楽しみだったのに。
わたしの段ボール迷路は今どっちに傾いているんだろう。
楽しい方に、幸せな方に、ワクワクする方にと、半分おまじないみたいに頭の中で歩きながらずっと呟いてる。