言葉には、類義語ってものが多くあります。
言い方は違うけど、意味はほとんど同じというものですよね。
例えばで探してみました。
【永遠】と【永久】
【忍耐】と【我慢】
【短所】と【欠点】
【目標】と【目的】
【方法】と【手段】
うんうん、ぱっと見同じ意味のような気がします。
会話の中や文章の中では、特に意識なく使っているかもしれません。
うーん。。。でも本当に意識しないで使っているのかなぁ。
両方とも同じくらいの頻度で使うものですしね。
その時にパッと頭に浮かんだ方を使っているのかな。
【綿密】と【細心】
わたしは、【綿密】の方は頻繁に使わないですね。
会話では固すぎるし自分の普段のボキャブラリーの上位には無い感じです。
こんな風に、自分で使用頻度が少ないと自覚している場合はハッキリしています。
今回興味を抱いたのは、ほぼ同じ頻度で使う、その場で思いついた方を使っているパターンの類義語についてです。
先ほど挙げた類義語は、本当に全く同じような意味合いを自分が持っているのかをじっくり見てみます。
【永遠】と【永久】
この作品は【永遠に】後世に残る
この作品は【永久に】後世に残る
うーーん・・・なんか違いがある気がする。その何かは分からない。
【忍耐】と【我慢】
ダイエットを成功するために、ここは【忍耐】だ
ダイエットを成功するために、ここは【我慢】だ
うーーん・・・忍耐は歯を食いしばってる感じがするが、我慢は欲望を押し殺してる感じがするかなぁ。つまり、我慢はダイエットよりも欲している欲求が別にあるのを知っていて、その思いを押し殺している・・・というイメージ?
【短所】と【欠点】
わたしは気が短いところが【短所】だ
わたしは気が短いところが【欠点】だ
これは、【短】と【欠】という漢字がわたしにイメージを与えているかもしれませんが、【短】に良いも悪いもないですが、【欠】には欠落とか欠損とか、足りない・マイナスという感じを受けます。
だから、特徴を【短所】と表現するか【欠点】と表現するかで見方が変わります。
同じ事としていうならば、【短所】と言われた方がわたしにはフラットに感じます。
わたしの【短所】は気が短いところだ
わたしの【欠点】は気が短いところだ
文章の語順をちょっと変えてみたけど、これでも印象が変わる気がするんです。
面白いです
完全に自分の中のイメージ遊びではあるんですけど似ているようでやはり違うんです。
何かあるようでハッキリ何かが分からないというのも興味がひかれます。
探り甲斐があるって気がするからでしょうか。
言葉は心を全て表現することは出来ません。
言葉にならない(出来ない)感情や動きがあるからです。
俳人や作詞家や詩人などの言葉の達人ならば、かなり近い言葉を紡ぎだせるかもしれませんが、普段少ないボキャブラリーを使いまわしている人間には難しいです。
それでも、個人によって違いこそあれ、言葉の中にうごめく違いやイメージが存在していて、それを認識できるという能力は面白いと思います。
わたしはもともと、何でも略する言葉ってそんなに好きではありません。
しかし、それを流行りことばとして、若者言葉という括りにして、さらにそれに着いていけない感覚を軽くバカにする感覚も、逆にそれを殊更に批判する感覚もどちらも好きではありません。
どっちだっていいじゃないかと思う。
遊び感覚で使う言葉は、流行りが廃れれば消えちゃうし、しかしみんなが感覚的にピタッと来たからこそ、その言葉は爆発的に広まるパワーを持つものだと思うからです。
以前、『ら』抜き言葉について知人と話したことがあります。
これについても同じです。
『ら』を抜いたことで生まれる言葉の感覚が、その場にピタッと会う場合だってあるんです。
なので、「言葉の乱れ」なんて箱にすぐに分類しようとするなんて余計なお世話だとも感じます。
その知人は60代の方ですが、「そんなことで議論するなんてバカみたいだよね。言葉は生きてるんだからさ」と言っていました。
金田一秀穂先生もそんなことを言っていました。
年齢が若いからとかベテランだからとか関係ない感覚なんですよね。軽やかで、わたしはそういう考え方がとても好きです。