今でも人気なのかもしれませんが、少し前にブームが起こった気がします。
それが、≪アドラー心理学≫というもの。
色んな書籍が出ましたが、これなんかは本屋さんで平積みされていましたね~。
他人から出来るだけ嫌われたくないわたしなどは、「うわー、勇気が出る気がしないw」と思ったものです。
自分の性格として、一匹狼的な感じでも平気な方なんですけど、それは周りが自分を特に気にしていない環境であることでの事。荒立てるのは苦手だからなぁ。
うん、こっちのタイトルの方が手にしやすいような・・・
いづれにせよ。『勇気』は必要みたいですけどね。
劣等感というものを誰しも持っていて、それと向き合うことを避けているところで引き起ってくる問題というものがあります。
先日、ニキビの例で話しましたがそれに似てるのかなと思います。
過去記事⇒トラブルは幸運の前兆?
わたしの例で言うと、自分にたいして自己肯定感が低くなる時があります。
仲良くしていた友人が、距離を置き始めたときにそれは相手の状況が変わったことが原因なのに、【自分が何か気に障ることをしたからではないか】【自分が友人として価値が無くなったからではないか】などと、妄想の理由を創り出して自分で苦しむということがあります。
転校してしまった友人は、転校先で新しい人間関係を築くことで忙しいし、相手も新しい環境で不安であるはずなのです。
なのに、「向こうに行っても手紙書くね」の返事が来なくなったことは自分が無価値になったからだと、自分の自信のなさから、根拠のない理由を持ち出すのです。
自分のことで頭か一杯で、相手の事を思いやる余裕がなくなっている。
無価値な自分だったなら、あんなに仲良くしてくれたわけはないんです。
なのに、そのことに自信が持てない。
やっとのこと、それは自分が勝手に思ってることだと気が付くと、今度は相手を思いやれなかった自分の器の小ささに自己嫌悪。。。
まあ、妄想の自分劇場について気が付くことが出来ればまだマシで、それを放置していると、いろんな場面で「ほらね、わたしって価値が無いから」と思わされる現実が繰り返されるんだって。怖いわね
アドラーは【トラウマなんて存在しないよ】とも言ってるそうです。
そのことを『トラウマ』なんてラベルを自分で貼ってしまってるだけで、受け取り方次第では同じ出来事でもトラウマだなんて思わない、感じない人もいるんです。
トラウマとは違いますが、わたしは昨日の仕事帰りに電車の人身事故によって運転見合わせというタイミングに当たってしまったんです。
まさに、自分が次に乗る電車から止まりました
その時にもちろん「あー、ツイテない」とは思いました。
普通でなら20分で帰れるのに、振り替え輸送となると1時間30分かかるわけなので。
で、それこそ自己肯定感が落ちてる時だと「この不運は、自分の何らかの至らなさから起こったアンラッキーに違いない」とか思うんです。
何でも、【自分が〇〇だから】を持ち出す。
客観的に聞いたらバカみたいなんだけれど、そうなるんです。
でも、昨日はそうは思いませんでした。
「事故が大したことないといいけど。そういえば△△線に乗るのは久しぶりだなぁ。」と。
ごった返す車内にともに乗っている乗客たちの事を【同志だなぁ】と思い、ホームを出たときに777のナンバーの車を見つけて「お、ラッキー」と思ったw
愚かな自分の妄想劇場と戦うのは結構シンドイ。
バカみたいだと分かっているのに、妄想が止まらないときは止まらないからです。
でも、暖かいお日様の光を浴びているときは、その妄想はあまり起きません。お日様の光ってやはり偉大だな。
アドラーは【共同体感覚】というものを説いています。
これは、詳しく知りたい方は各人調べてみていただきたいですけど、わたしの印象としては【ワンネス】という感覚に近いと思いました。
ワンネスとは、スピリチュアルの世界でよく用いられる用語です。
アドラー心理学って、壮大な心理学だなぁ。
わたしは、アドラー心理学はこちらのマンガで読んでいました。
好みの分かれるマンガな気がしますがw