祝詞と呼ばれるものには色んな種類があります。
『大祓詞(おおはらへのことば)』とか『ひふみ祝詞』とかね。
その多くは、【高天原(たかまがはら)にいらっしゃる皇祖の神々のお言葉によって、八百万の神が一同にお集まりになって、豊葦原の瑞穂の国を穏やかで平和に統治せよと・・・】というような意味の文言から始まります。
古事記の最初の場面を彷彿とさせる感じです。
中盤になると、
瀬織津比売(せおりつひめ)
速開都比売(はやあきつひめ)
気吹戸主(いぶきどぬし)
速佐須良比売(はやさすらひめ)
という四柱の神が登場します。
この方々の事は、古事記には重要人物としては出てきません。
イザナギが死んでしまったイザナミを冥界から連れ戻そうとして失敗し、命からがら逃げかえった後に川で禊をするのですが、その禊の最中に出てくる神様という感じなので、【祓い】の神として祝詞では出てくるみたいです。
しかし、瀬織津姫という方はとても人気があります。祝詞に出てくるだけなのに、トンデモナイくらいの人気女神です。【瀬織津姫】で検索したら、そりゃ色々出てきますよ
一体、瀬織津姫の正体は何なんでしょうかね。
参照動画⇒歴史から抹消された瀬織津姫
↑このチャンネルの考察動画はお気に入り
さて、そんな祝詞の中に【十種祓詞】というものがあります。
十種(とくさ)は、先代旧事本紀に登場する十種神宝(とくさのかんだから)と呼ばれるものです。
物部氏の祖伸であるニギハヤヒが、天の神様から授かって地上に降臨したというストーリーを元にした祓い詞。
過去記事⇒謎の神、繋いでいるのは【物部氏?!】
古事記とか日本書紀では、アマテラスが国譲りを持ち掛けて孫のニニギを降臨させるというストーリーでお馴染みです。その際に三種の神器を持たせたんですよね。
しかし、ニギハヤヒバージョンでは、十種類の宝を授かって、ニニギより先に降臨してるんです。しかも、ニギハヤヒはニニギの兄という設定で。
(いつものことですが、その辺の真偽のほどは、わたしは別にどうでもいいんです)
↑これが、十種神宝のシンボル。実際はどんなものなんだか分からない。
鏡とか勾玉とか布なんじゃないかな~とのこと。
ただ、わたしは物部氏を追っかけているのでこの祝詞は気になります。
~抜粋~
十種の瑞寶を、饒速日尊に授け給ひ、天津御祖神は言誨へ詔り給はく、
「汝命、この瑞寶を以ちて、豊葦原の中國に天降り坐して、御倉棚に鎮め置きて、
蒼生の疾病の事あらば、この十種の瑞寶を以ちて、
一二三四五六七八九十と唱へつつ、布瑠部、由良由良と布瑠部。かく為しては死人も生返らむ」と言誨へ詔り給ひし随まに、
十種の宝をニギハヤヒに授けて、天の神様はおっしゃった。
この宝をもって地上に降り立ち、もし病の人がいたならこの宝の力を使い「ひとふたみよいつむなやここのたり」と唱えて振るいなさい。さすれば死にかけた病人も生き返るであろう」と。
饒速日尊は天磐船に乗りて、河内國の河上の哮峯に天降り坐し給ひしを、
その後、大和國山辺郡布瑠の高庭なる石上神宮に遷し鎮め斎き奉り、
代代、其が瑞寶の御教言を蒼生の為に布瑠部の神辞と仕へ奉れり。
ニギハヤヒは天の磐船に乗って河内の国に降り立った。その後、大和の国の石上神宮に宮を移して、宝と祓い詞を奉ったのでした。
故この瑞寶とは、
瀛津鏡、辺津鏡、八握剣、生玉、足玉、死返玉、道返玉、
蛇比礼、蜂比礼、品品物比礼の十種を、布瑠御魂神と尊み敬まひ斎き奉る事の由を、
その宝というのが、先ほどのイラストの十種の宝で、これらを【布瑠御魂大神】として神格化して尊み敬うこととして・・・と続きます。
物語になってるのがとても面白いです。
般若心経の時もそうでしたが、謎のおまじないが、更に興味をそそります。
過去記事⇒呪文を唱えるのは何故?
ひふみ祝詞というものもありますが、ひーふーみーという言葉には力があるんですね。
数字の不思議なんだか、なんだか分かりませんが。
子どもの頃、お風呂に入って「最後に10数えてから出なさい」というのがお約束だったりして、その時は、「いーち、にー、さーん」ではなくて「ひー、ふー、みー」だった気がするんですよね。
はからずも、おまじないを唱えていたw