現在、朝の連続テレビ小説【舞い上がれ!】を視聴してる人はピンとくると思います。
主人公の舞ちゃんが祖母の暮らす五島で、ある小学生の男の子と出会います。
その子は、自分の興味があることしか目に入らないタイプの子で、少年の母親はそんな息子が周りと上手くやっていけないことを心から心配しているんです。
結果、学校を色々転校させようとしたりして、たどり着いたのが九州の五島。
そこでも、少年(朝陽くん)は自分の好きな星の図鑑を何時間も見たりで、学校には行きたがらず、母親が説得しようとすると泣いて拒否するという感じです。
一日中、縁側で自分の世界に入ってる。
先日、わたしは職場である男の子に会いました。
その子は3歳で保育園に通い始めたのですが、集中力が続かずに色んなことに興味が移る。先生の言う指示はあまり耳に入らなくて、みんなと同時に同じスピードで始めることが苦手みたいです。
「もう帰ろう」とお母さんが言っても「まだ、やりたい。帰りたくない!」とごねるみたいなことは、3歳くらいならありそうですけどね。
でも、お母さんはとてもまじめな方なので、周りに迷惑をかけることに恐縮し、息子の行動について先生に言われたことを申し訳なく思い、「ほら、ごあいさつは?」「ほら、〇〇さんに聞かれてるよ?」と絶えず息子の行動をフォロー。
大変だなぁ~・・・と傍から見ていて思いました。
「そんなこと気にされなくても大丈夫ですよ。子どもなんてみんなそんなもんですよ。うちの子も我儘ばっかり言いますし」とお子さんを持っている同僚が声をかけても「申し訳ありません。でも、クラスの他のお子さんはそんなことないのに・・・」みたいな。
彼は今、絶賛「それ、なんで~?」という『なんでなんで期』。『イヤイヤ期』は終わったのかな。
待ち時間が30分くらいあったので、彼が開いていた絵本を一緒に覗き込み、声をかけました。
「その本、面白い? 好きなの? これね、別のおはなしもあるんだよ。」
ほら、これ。と手渡すと
「なんでー?なんで別のお話があるのー?」
「えーっとね、こっちは〇〇ちゃんとはじめましてした時の話で、こっちは一緒に動物園に行くお話だからだよ。迷子になっちゃうお話。」
「なんで、猿がいるのー?」
「みんなで動物園に来たからね、そこにお猿さんがいたんだよ」
「ここにもいるー」
「見て、ほら泥だらけになっちゃったよ」
「なんでー、泥なの?」
「転んじゃったからね、ほらここで。」
よく分からないんですけど、わたしは読み聞かせってそういうものだと思う。
文章通りに、キャラクターごとに抑揚をつけて読んでこどもの興味を惹き付けるということも大事だけど、こどもがいきなりラストシーンのページをめくっちゃっても、元に戻そうとしないこと。
でも、みんなで静かにお話を聞こうねで始まった時間に、「なんでー?」って何度も遮られたら、確かに先生も困っちゃうだろうね。一対一ならいいけどね。
それも工夫次第だとは思いますけど・・・(人材が足りなかったらそれもいかんともしがたいという状況も、もちろん分かります)
わたしは保母さんではないので、それは置いといてw(←無責任)、彼との読書タイムがむちゃくちゃ楽しかったのです
もう、本当に自分がそういうのが好きなんだなぁと思いました。
何時間だって、相手してられる。いや、彼に相手にしてもらってるのが正しいくらいです。
脇で見ていたお母さんは、「遊んで頂いちゃってすみません。お忙しいのに。ありがとうございます。ほらあなた、あなたからもお礼を言って」ってやはり恐縮して、ご主人にまで促していたいたけど、お礼を言いたいのはこっちなのですw
なんて楽しいの~。毎日連れてきて欲しいなぁ!ってくらい。
お母さんの日頃の賜物だと思いますが、「ほら、ありがとうは?」と言われて元気な声で「ありがとう。さようなら!」と言って、きちんと戸棚に本を戻しに行けるのですから。
まじめなお母さんの元に、天の導きでやってきた天使に思えますw
第三者の目から見たら、それが分かりやすく分かります。
だからきっと、自分の周りに現れた人は、それが自分にとって親切な人だろうと、不親切な人だろうと、天からの導きで遣わされたキャラクターなんだろうな。
そのすべてを、感謝で受け入れることが出来たら、人生コンプリートなんでしょうね。