昨年、このブログを書き始めたときに思っていた夢がありました。
それは、ボランティアで小中学生に勉強を教える活動をしてる方がいると知って、自分も「やってみたい」と思ったんです。
で、中学生の英数(特に数学)をどのくらい覚えてるのかと思ってやり直し勉強をしてみたら、相当忘れていることを思い知らされることに
でも、まあ頑張って葉一さんやトライ先生のYOUTUBEを見たり、高校入試の過去問やったりして取り戻せばいいんだ!と。
大人になってのやり直し勉強をしていると、当時は気にしていなかった色んなことを考えるようになります。
計算にしても、ただ解を導くだけなら公式などを用いて解くことは出来ます。
しかし、これって・・・なんなんだ?
導かれた答えは何を表しているのだ?ということが分かっていなかったりするんです。
⇒過去記事 おとなの数学やり直し⑨ 変化の割合
例えば、数学が好きではない子にしてみたら、「そんな事は別にいい、答えが導けてテストでいい点数が取れたら嬉しいし、志望校に合格するために解ければいいんだから」ということかもしれない。
「解き方の方法を分かりやすく説明してくれたら、それがいい先生ってことなんだから」とも言えるかもしれない。
でも、わたしはそこにこだわってしまう。
クイズに答えるように問題が解けるほどスラスラと解けるわけでもない、次々に解きたくなるような興味もない、ただ目の前の問題を意味も分からず公式を覚えて解く中に、楽しさを見出させるように導く力量もない。
そんな自分じゃ、教える側にはなれない。
自分は、教える側ではなくて教わる側に興味があるし、仮に教える側だとしてもテストの為という理由に面白みを感じることが出来ないのだと。
もちろん、分かってる。テストで良い点が取れたことが好きや興味のキッカケになりうることがあることも。
⇒過去記事 好きだった教科
一年過ぎて、もう自分の学びの好奇心が爆発しちゃって、誰かに教えられるなんてことは考えられなくなった。
最近では、古代歴史ばっかり調べてるしね。数学、全然やってない。
「今学校で習っているこれ(一次関数でも、因数分解でもなんでも)は、どんなことに繋がってるのだろう?」と疑問に思うことはあります。
どうせ役に立たないとか大人になったら使わないと言うタイプの人は、ここでは置いておきます。
わたしたちが使うコンピューターが世界だとしたら、小中で習う事は、その小さな小さな部品なんです。ネジかもね、導線かもね。
毎日、毎日ネジを作る工程を学んでいると、「ねぇ、このネジづくりって何の意味がある?」と思う時があります。
それが、「ねぇ、一次関数ってなんか役に立つの?」と同じ段階。
例えば、ねじ工場やばね工場で毎日毎日、わたしたちの暮らしを支える様々なタイプのばねを作っている職人さんは、ちゃんとその使われ先が分かってるし、みんなを支えていると知っている。だから誇りをもって仕事をされている方が大半じゃないでしょうか。
一口に≪ばね≫といっても、奥が深いよ。
ネジ穴の種類、こんなにあるんですね!
こんなおもちゃもあるw
ああ・・・ネジのことを調べていたらめっちゃ気になって来たわ。
古代のネジのことが。
紀元前400年頃にはすでに≪ネジ≫はあったらしいです。
プラトンの友人である古代ギリシャの哲学者で数学者で天文学者で政治家で軍事戦略家でもあるアルキタスという人が発明したんじゃないかって言われてるらしい。
天才・・・
⇒参照サイト ねじの歴史はいつから?
一方、日本では、木で出来た釘は、古代から建築に使われていましたけど、初めて≪ねじ≫が伝わったのは火縄銃に使われていたネジらしいです。
それまで、ネジに代わるものはなんだったんでしょうか。
生活に必要で、しかも便利!!ってなったからネジは古代から使われていたのに、それまでの日本には必要なかったんだろうか・・・うーむ、疑問。
ほらね・・・いつの間にか話が歴史の興味になっちゃってるw
いつか調べるでしょうね、ネジとバネの歴史。