また、間が空いてしまいましたが前回の続き、まいりましょう。


さて、過去の精霊と少年時代にタイムスリップしたのち、今度は現在の精霊がやって来ます。

 

現在となると、単なる覗きではあります。

透明人間状態で、自分の会社の従業員であるボブの家庭の様子を見に連れていかれるスクルージ。

 

ボブの家は貧しい感じ。

タンブラーも2客しかありませんので、一個だけ家にあるcustard-cupも使っています。

カスタードカップって??

こういう、料理に使う耐熱容器みたいです。

ボブの家には一個しかないってことは、オーブンで家族用の料理を作るときに使うような大き目の器なんでしょうか。

 

きっと給料が安いんでしょうね。

家族は8人。ご夫婦と成人してる子どもも含めて6人。

クリスマスなので、独立してる子どもも里帰りしているのかもしれません。

貧しくとも、家族は仲睦まじく温かい様子です。

 

These held the hot stuff from the jug, however, as well as golden goblets would have done;

and Bob served it out with beaming looks, while the chestnuts on the fire sputtered and cracked noisily.

 

これら(2つのタンブラーとひとつのカスタードカップ)は、水差しから注がれる熱い飲み物をしっかりと受け止めるのでした。まるで金の盃がそうするように。

ボブは、にこやかな表情で皆に飲み物を注ぎ、一方では栗が暖炉でにぎやかに爆ぜる音がしました。

 

こんな感じの様子です。

数少ない食器も、きらびやかなものに負けず劣らず幸せそうに活躍しているのです。

完全に擬人化されています。

「今夜は頑張ってもてなしましょうね!」

「はい、ママ!」

 

ボブの表情を表現するのにbeaming looksとなってます。

beaming smie(face)は、晴れやかな・はじけるような笑顔という意味らしいです。

beamingは輝くとか陽気なとかいう意味のある単語なんですね。

知らなかったなぁ。

前回も、fatやoilyが声の形容詞になっていましたし、形容詞の豊富さは奥深く単語数も多いのかも。

looksという複数形から、表情が変化して活き活きとした感じが読み取れるそうです。

説明されればそうなのかぁと思いますが、それこそネイティヴじゃなきゃ感じ取れないやつですね。面白い。

 

さらに、serveという何気ない単語ですが、ここで注いだという風に訳しましたが、配ったとも訳せるのではないか?と本の中の生徒さんは話し合っていました。

(先生と生徒の討論形式になってるページがあります)

グラスに注いだ飲み物を配るシーンありますよね。

 

しかし、今回はカップが3つしかないので、回し飲みなのではないか?という推理にて、先生は注ぐという訳をチョイスということです。

そこまで読み込むのが精読の醍醐味っぽいです。

 

ボブの末息子は病弱なティムという男の子。

普段は松葉づえが無いと歩けません。

 

Tim sat very close to his father's side, upon his little stool. 

Bob held his withered little hand in his, as if he loved the child, and wished to keep him by his side, and dreaded that he might be taken from him.

 

ティムは父親の傍で小さな椅子に腰かけておりました。

ボブは我が子を愛おしみ、ずっとそばに置いておきたいと願いつつ、いつか奪われてしまうのではないかと恐れをいだいているかのように息子の弱々しい小さな手を握りしめていました

 

ティムもボブも代名詞が he なもんだから、his himが混乱します。

ボブの息子に対するしぐさと思いを表しているところの文の構造が日本語と語順が全く違うから、訳すのに困惑。

(英文と対比するために細かく色分けしてみました。)

andによって、文が長々と続きます。

長文読解の際に、andに気をつけろ!とよく言われました。

 

余命が長くなさそうなティム坊やとボブ一家の温かさを見て、スクルージはなんとか長生きさせてあげてくれよ!と精霊に思わず訴えます。

 

それに対して精霊が答えます。

 

If these shadows remain unaltered by the Future, none other of my race, will find him here.

未来がそれらの影を変えられないとしたら、わたしたち一族の者がここであの子の姿を見ることは二度と無いだろう。

 

ん??真顔

わたしたち一族って何?

 

どうやら精霊の設定として、一年ごとに新しい精霊がいるらしいんです。

現在の精霊にとって、過去の精霊はみんなきょうだい。

今後現れる未来の精霊もきょうだい。

 

この本では扱っていない部分で、精霊にきょうだいは居るのか?とスクルージが尋ねるシーンがあるらしいです。

精霊にきょうだいの数を聞くって、なかなかない発想だなぁとわたしは思います。

でも、確かにオバQにも兄弟がいた気はするもんねw

精霊は「1800人以上いるよ」と答えるんだそうです。

どういう数字・・・真顔??

ここで、クリスマスキャロルが書かれたのが1843年だから、そういうことなんじゃない?という討論が先生と生徒の間でされます。

なーるほどぉ。面白いです。

翻訳は本当に奥が深い作業です。

 

つまり、次の精霊はあの子に会えないよと言ってるんですね。

来年ってことでしょうか。

 

「でも、別に死んだところで人口が減って結構な事じゃないか」と、以前スクルージ自らが寄付を求める人に対して吐いた毒舌を言われます。

なかなかキツイ嫌味を言いますなぁ。現在の精霊は。

そう言われて、ガーンガーンガーン真顔ガーンと後悔の念が押し寄せるスクルージ。

 

さあ、どうなる?