メンデルスゾーンがライプツィヒで人気を独占していた頃、彼を英雄のように崇拝していた作曲家がいました。ローベルト・シューマン(Robert Schumann、ドイツ、1810-1856)です。メンデルスゾーンもシューマンによくしてくれて、シューマンの交響曲を指揮したり、この町に新しくできた音楽学校の教師に、シューマンを任命してくれたりしました。メンデルスゾーンが38歳の若さで突然亡くなった後、シューマンは彼にあやかって、息子にフェリックスという名をつけたというエピソードもあります。

 

シューマンという人は、ほとんど宇宙人というか、そこまでいかなくても、とにかくいつもどこか別の世界にいました。頭の中には、夢や空想や詩があまりにたくさん詰まっていたため、現実の生活で何が起きているか気がつきにくい人でした。音楽と同じくらい本が好きで、奇妙な仮面をつけた男や、恐ろしい化け物に変身してしまう人々や、死んでも離ればなれになりたくない恋人たちなど、そういう人物が登場する物語が大好きでした。シューマンの文章や思いつきはすべて、どういうわけか、私たちの住んでいるこの世より、もっと美しくてドラマチックで魔法に満ちた別の世界からやってきたみたいなのです。

 

 

シューマンは16歳のときに父親を亡くしたため、母親がひとりで養うことになりました。作家か音楽家以外にはなりたくないと思っていた息子に、お母さんは最初、無理やり法律を勉強させます。ちゃんとした仕事に就かないと息子は絶対に食べていけない、と考えていました。そのうちシューマンは、まもなく19歳になる頃、フリードリヒ・ヴィークというピアノの先生と出会います。先生は、「私が教えれば、ローベルト君は立派なピアニストになれます」と、本人と母親に向かって太鼓判を押してくれました。お母さんは何日も悩み続けたあげく、ようやく折れて、息子の望みを受け入れました。こうしてシューマンは、ヴィーク先生の家に下宿し、厳しい指導を受けることになりました。

 

シューマンが居候をはじめた頃、ヴィーク先生にはクララという11歳の娘がいました。クララはすでに優秀なピアニストで、父親の誇りでした。

 

 

散歩に出かけたシューマンが、空を眺めながら、いつものように花や木や小鳥やミツバチを思い浮かべていると、クララがあとからついてきて、地面をじろじろ見ています。そして、大きめの石を見つけると、彼がつまづかないよう、後ろからシューマンのシャツをぐいっと引っ張って注意します。ありがたいお世話ですね。

 

そうこうするうちに、クララも一人前の女性に成長しました。彼女がかなりきれいになっていたことに、シューマンは突然気づきます。そしてある日、彼はクララに情熱的なキスをします。クララは気を失いそうになりました。(気を失わなくてよかったです。なぜならふたりがキスしていたのは石の階段か何かの上だったので、ひっくり返って頭でも打ったら、ただじゃすまなかったと思います)。そしてクララもシューマンに夢中になり、彼もクララにぞっこんで、人生バラ色、めでたしめでたし。。。

 

。。。のはずでした。ヴィーク先生です。彼はかんかんに怒りました。先生は、娘を世界一有名なピアニストに育てて、演奏ツアーでがっぽり儲けさせて、儲けは自分の懐へ入れ、そうしたら裕福な貴族の息子か誰かと結婚させたいと願っていました。シューマンみたいに、あまりたくさんお金を持っていなくて、酒びたりなうえ(シューマンはシャンパンとビールを浴びるほど飲んでました。そのふたつを混ぜて飲むのも好きでした。ゲッ!)、わけのわからないことばかり言っている若造などに娘はやれん!というわけで、ヴィーク先生はふたりが会うのを禁じてしまったのです。

 

かわいそうなクララは、威張りん坊のお父さんと、大切な恋人シューマンとの間で、どうしたらいいかわかりません。デートができないので、シューマンとクララは毎日のように文通をしました。「愛しています。あなたがいなくなったら生きていけないわ」とクララが書いてくると、シューマンはとってもうれしくなって、彼女への秘密のメッセージを織り込んだ新しい曲を書かずにはいられませんでした。しかし、「ふたりが暮らしていけるだけのお金を、あなたが稼げるかどうか心配です」とか、「あなたの音楽は難しいので、聴き手に理解してもらえないのではないかしら」とか、「やっぱりお父さんを一人ぼっちにすることはできないわ」といった内容の手紙が届くこともあります。そしてついに、あまりにも耐えられない状況となったため、シューマンとクララはヴィーク先生を裁判にかけ、結婚の許可をもらえるよう法に訴えました。ふたりはこの裁判に勝ち、ヴィーク先生はその後何年もふてくされっぱなし。。。こうしてふたりに、ウェディングベルの鳴る日が訪れます。シューマンは30歳。クララは式の翌日、21歳の誕生日を迎えました。

 

若いふたりの結婚生活はうっとり気分でスタートしましたが、まもなく、次から次へと問題が起きます。最大の問題は、クララは演奏活動を続けたかったのに、シューマンはクララに、家を守り、子どもを産んで、自分と子どもの面倒を見てもらいたかったことです。クララは、そんなのはイヤだったに違いありません。世界で指折りのピアニストだというのに、演奏旅行を許してもらえないどころか、夫が作曲の仕事でピアノを使っているときは、雑音が気になるからという理由で、ピアノのそばに近づくことも許されなかったのですから。これはシューマンにとってもあまりよろしくないことでした。当然、わがままな自分に罪悪感を感じましたが、そうはいっても、仕事で何かを成し遂げたい以上、家庭では落ち着いた生活が必要でした。彼は旅行が嫌いでしたし、旅先では作曲の仕事はまるで進みません。それに、有名人の妻にくっついてきたおまけとして扱われるのも、まっぴらごめんでした。仕事への望みが絶たれたクララはイライラしてばかり、シューマンは毎日のようにひどく落ち込んでいました。それでもふたりはどうにか一緒に暮らし、子どもを7人もうけました。

 

 

1853年、ある若者がシューマン家を訪れ、一家全員、彼にすっかり夢中になってしまいます。この若者の名はヨハネス・ブラームス。のちに世界で最も偉大な作曲家のひとりに数えられるようになる人です(もちろん、彼については、後ほどじっくりと紹介する予定です)。もっともこの時点では、音楽家ブラームスは、まだ芽が出たか出ないかで、シューマンこそ、彼のそんな天才的な才能を最初に見つけ出した人だったのです。

 

 

ある画家が、この頃のブラームスとシューマンのスケッチを残しています。それを見ると、ブラームスはそれはそれはハンサムで、繊細そうで、ほとんど童顔です。20歳にもなるのに、まだちゃんと声変わりしていなかったうえ、ひげもほとんど生えないような青年でした。かたやシューマンは、安心して見ていられないような顔です。顔はたるみ、困ったようなぎこちない表情をしています。

 

シューマンの変人ぶりはひどくなるばかりでした。頭の中で誰かの声が、聞こえはじめていたのです。それは、美しい歌声に聞こえることもありました。あるとき、彼は真夜中に目を覚まし、天使たちが「この歌を書き取りなさい」といって、うっとりするようなメロディを教えてくれている、と思い込みます。さっそく五線紙に書き写し、それをもとに曲を作りました。それは心に染み渡るような優しい曲で、別れの悲しみに満ちあふれていました。しかし、天使が教えてくれたそのメロディは、実は何年か前に自分で作ったものを再利用しただけだったのですが、奇妙にもシューマンはそのことに気づかなかったのです。

 

いまや、シューマンの中の誰かの声は、「お前は救いようのない罪人で、最悪の作曲家だ」と意地悪なことを言い、めちゃくちゃな音楽を鳴り響かせるようになっていました。シューマンは、自分が狂気の発作を起こして、クララに暴力を振るってしまうのではないかと不安でした。そしてある日、自宅を抜け出し、ライン川のほとりへ行きます。シューマンは、20年ほど前、妻とけんかばかりしていたとき、「お前がくれた婚約指輪なんか、ライン川に捨てて、俺も身投げしてやる!」と脅かしたことがありました。そのとんでもない脅しを、今度は実行してしまったのです。

 

浮いていたボートの上を伝い歩き、氷のように冷たい水に飛び込みました。何人かの釣り人が彼を見つけ、大急ぎで引き上げてくれました。彼はまたもや川に身を投げようとしますが、腕っぷしの強い釣り人たちに押しとどめられ、自宅へ送ってもらいました。うちへ着くなり、シューマンは少し興奮がおさまって、2、3日前に手をつけていたあの「天使が教えてくれたメロディ」の変奏曲を、すぐに仕上げてしまいました。とはいえ、心は絶望していました。いよいよ彼は、精神病院に行くことを決意します。クララは「わたしを置いていかないで」と頼みましたが、彼の決意は固く、「すぐに良くなって戻るから」とシューマンは妻に言って聞かせました。

 

シューマンは、医者とふたりの付き添い人に伴われて馬車に乗り込み、妻にも、また、その後二度と会うことのなかった子どもたちにも別れを告げずに、自宅をあとにします。彼が運ばれた精神病院は、彼が住んでいたデュッセルドルフという町からはるか離れた、ボンという町の郊外の小さな村にありました。病院に到着したとき、彼は激しい興奮状態で、クララが死んでしまったと思い込み、声が出なくなるまでわめき続け、誰かの陰謀にはめられたと信じ込んでいました。シューマンは、正常とはいえない状態にあったのです。

 

みんな、なんてひどい状況に巻き込まれてしまったのでしょう!クララの気持ちは複雑でした。夫に会いに行くことはできません。少なくとも医者たちは、クララが面会に行くことに強く反対していました。夫が約束通り治って戻ってくるのを、彼女はたぶん心待ちにしていました。しかし同時に、もし退院が早すぎれば、うちで暴力を振るうようになるのではないかと心配でした。それに、夫の入院中のいまは、演奏旅行に出かけることができますが、夫が退院してくれば、うちを空けることはできません。さらにややこしい問題もありました。クララはブラームスに恋をし、ブラームスも彼女に恋心を抱くようになっていたのであります!ブラームスもまた、どうにもつらい気持ちだったでしょう。シューマンを深く尊敬していた彼は、ときどき面会を許されていた、数少ないひとりでした。そんな彼が、シューマンの妻に恋をしてしまったのです。なんといろんな気持ちの混ざった、つらい胸の内でしょう!

 

しかし、一番苦しかったのは、もちろんシューマンです。みんなに見捨てられ、二部屋だけの小さな病室でただひとり、家族や友だち、それに音楽からも切り離されて、つまり、人生から切り離されて過ごしていました。彼は自分のことを「ローベルト・シューマン、天国の名誉会員」、つまり、生きるしかばねと呼んでいました。

 

とはいっても、この頃かなり多くの曲が作られました。そのほとんどがバッハ風のフーガで、気持ちを落ち着けるのに役立っていたのですが、時間が経つと価値がないような気がして、彼は自分で楽譜を破り捨てていました。ときどき病院のピアノを弾くこともありましたが、それを聴いた人の報告によれば、それはまるで、壊れた機械がなんとか動こうとして、ガタピシというのが精一杯のような、ひどい演奏でした。シューマンはときおり乱暴になることもあり、叫んだり脅し文句をわめいたりしながら、看護婦に向かっていすを投げたりしました。彼が言葉で何を伝えようとしているか分からないことが多く、人と話すことが不得意だった彼は、いまや意味の通じないおしゃべりしかできなくなっていました。フーガを作曲しないときは、地図上の地名をアルファベット順に書き出してリストを作り、精神状態を落ち着けていました。その作業にあまりにも集中していたため、誰かがお見舞いに来ても気づかないほどでした。まったくのところ、彼はもう人とコミュニケーションがとれなくなっていたのです。

 

そうして結局、もう死ぬまで精神病院から出られないと悟ったに違いありません。彼は諦めてしまいました。体の具合まで悪くなり、食事ができなくなって、手足の震えと痙攣が治らなくなります。彼はどんどん衰弱していきました。

 

入院から2年半後、ようやくクララが、ブラームスと一緒にシューマンに会いに来ました。シューマンはクララの顔がわかったのに、クララにはシューマンの顔がほとんどわかりませんでした。シューマンはありったけの力を振り絞り、震える腕を動かして妻を抱こうとし、なんとか笑顔を見せようとしますが、うまくいきません。もごもごと口から出かかった言葉はまるで意味をなさず、「僕の……」とだけ聞きとれましたが、「僕のクララ」と言いたかったのでしょうか。翌日、シューマンは、たまたま付き添いが誰もいない間に、息をひきとります。看護婦が様子を見に病室へ行くと、もう亡くなっていたのです。最後の最後まで、シューマンはずっとひとりぼっちでした。

 

あまりにも寂しすぎて、私は彼の人生を思い浮かべるのがつらいです。ひとつだけ慰めになりそうなことを言うなら、シューマンは、幸せな気分のときは、それはそれは嬉しそうに、われを忘れるほど楽しがる人だったという点です(私がどんなにご機嫌な気分になっても、おそらくシューマンには全然かないません)。

 

今日、世界中の人々がシューマンの音楽を聴いてどんな反応を示し、彼の熱いハートにどれだけ親しみを感じているかをもし彼が知ったら、どんなに喜ぶでしょうね!(あるいは驚くかもしれませんね)そんな風に思えるのも、素敵なことです。