前回お話ししたように、ブラームスは、すべての作品に徹底的に手を入れる人で、書いた作品の多くを自分で捨ててしまいました。

 

曲のアイデアが浮かぶとしましょう。すると彼は、ベートーヴェンみたいに田舎の緑の中を散歩しながら、何時間も何時間も、どういう曲ができそうか考えを練り、どう考えてもこれなら書けそうだと確信がもてたら、ようやく五線譜に向かいます。でも、本当の闘いはここからで、出来上がった曲を苦心して直すことにあります。そして、「なんて駄作だ!」と書いたメモを添えて、信頼できる意見を言ってくれる友だちに、直した楽譜を送ります。友だちからのアドバイスがあれば、参考にすることもありますし、しないこともあります。どっちにしても、ブラームスはそこからさらに手を加えずにはいられません。そして、少なくとも一回は実際に演奏してみて、うまくいったと確信したら、ようやく、出版社宛てに楽譜を送るのです。またもや、「出版する価値なし!」とひと言書いたメモを添えて。

 

という感じで、ブラームスにとって、音楽を書くことは必ずしも気楽に取り組める仕事ではありませんでした。バッハやモーツァルト、ベートーヴェンといった過去の立派な巨匠たちをブラームスは尊敬していましたし、彼の作品は、交響曲、ソナタ、協奏曲、四重奏など、昔からある形式で書かれています。(例外はオペラです。ブラームスはオペラを一曲も書いていません)。そうした過去の天才たちは抜群なアイデアをあんなに思いついたのだから、彼らに挑戦しようなんて無理だと信じていました。そして、いつも彼らを自分の作品のお手本にしました。これって、音楽を学ぶには最高の方法ですよね。ブラームスは、自分の音楽なんて全然たいしたことないと思っていましたが、もちろん当時のほかの作曲家の作品のほとんどは、自分の曲よりさらにたいしたことないと思っていました。

 

というわけで、ブラームスの音楽は、先輩たちの理想を引き継いだものといえるでしょう。ブラームスと同じ時代の作曲家の中には、伝統的な音楽の形式を取り払って新しいものを作り出そうと懸命になっていた人たちもいて、彼らにしてみたら、ブラームスは古い音楽を書き直そうとするだけの、時代遅れの頑固者でした。でも、それは間違いなのです! 昔ながらの形式を使い、その型に命と息吹を注ぎ込み、新鮮なものに創造し直したことこそ、ブラームスが成し遂げた立派な業績だったのです。

 

ブラームスの音楽は、じつに様々な気分を表しています。グラスを片手にビールを飲み、たぶんジプシーの楽団の演奏を聴きながら、ゆったりくつろいで愉快に過ごすブラームスが目に浮かんでくるような曲に、時々出会います。彼はジプシー音楽のメロディを使って、全部で21の《ハンガリー舞曲(Hungarian Dances)》を書きました。その他の大作にも、野性味にあふれる熱いジプシー魂を聴き取れるものがいくつもあります。

 

かと思えば、彼の人間性のもっと暗くて悲愴な面がはっきりと伝わってくる曲もあります。それに、「スケルツォ」と呼ばれるきびきびとした速い楽章(「スケルツォ」はイタリア語で「冗談」という意味)では、悪魔が暗い森を駆け回るような雰囲気が味わえるものもあります。怖いですよね! ほかにも、高波が轟く海や、すばらしい夕焼けや、恋の歌、それに優雅なダンスを思わせる曲など、いろいろあります。  

 

それらすべてを一人の作曲家の作品として一つに束ねているのは、豊かさと、深みがあって堂々とした美しさです(ちなみにそこには、とげとげしさは全くありません)。これこそが、ほかの誰でもない、ブラームスが歌い上げる音楽なのです。音楽が流れていると、ブラームスの曲はすぐわかります。それは、一瞬で私の心を奪うからです。忙しいときは、迷惑このうえないですよね。でも、時間を割いてでも耳を傾ける価値があるのです。

 

 

気に入らない曲はすべて自分で破り捨ててしまったので、今日に伝わるブラームスの作品には、ほんとうに出来の悪いものや重要でないものは、ありません。《ハンガリー舞曲》のほとんどは軽やかで楽しいのですが、だからといって重要でないとはいえません。楽しむことって大切ですからね!

 

でもおそらく、最高の名曲は、彼が生きるうえで何か深い思いを抱えていた時期に書かれたものでしょう。ハリネズミだった彼は、それを表現するには音楽で表すしかなかったのです。

 

たとえば彼が《ピアノ協奏曲 第1番(Piano Concerto No. 1)》を書いたのは、師匠であるシューマンが亡くなったあとのことで、苦しい魂の叫びを思わせる響きに満ちています。私はこの曲を初めて聴いたときのことを、今でも覚えています。すごい迫力のティンパニの音ではじまる出だしに、思わず椅子から跳び上がってしまいました。第1楽章はとにかくつらくて痛ましいです。でも、ゆっくりとしたお祈りのような雰囲気の第2楽章に入ると、シューマンの魂が安らかに眠っているような感じがするのです。

 

ぜひ、《ヴァイオリン協奏曲(Violin Concerto)》も聴いてみてください。これまた全然違う雰囲気の傑作で、きれいなメロディがいくつも出てきますし、はしゃぎまわるような最後の楽章には、ジプシー音楽風のリズムがたくさん使われています。

 

《ドイツ・レクイエム(Ein deutsches Requiem)》は文句なしに美しくきらびやかです。母親を亡くしたあとに書かれた、静かで感動的な哀悼の曲です。

 

お次は、四つの交響曲(Symphony)を聴いてみてください。四曲ともすばらしいです。ブラームスは、交響曲を作ろうと思い立ってから、なんと、20年間、構想を練りに練って、最初の交響曲、《第1番》を書きはじめました。そして、それだけ待ったかいがありました! 重々しい出だし(ここでもティンパニが力強く鳴り響きます)ではじまるのですが、だんだんと絶望から希望へと向かっていき、最後は感動的な歓喜の歌が歌われます。でも、いちばん有名なのは、最後の交響曲、《第4番》かもしれません。朝、目が覚めたらすぐに聴きたくなるような、お日さまの光のように明るいメロディが出てきます。

 

 

さらに私のお気に入りを挙げるなら、まず、《クラリネット五重奏曲(Clarinet Quintet)》です。晩年に書かれたこの曲は、まるで年老いたジプシーの賢者たちが、消えそうな焚火を囲んで、とりとめのない悲しい話を語り合っているようです。

 

晩年のピアノ曲にも、目を見はるようなすばらしいものがあり、ブラームスはまったく新しい世界を創り上げています。たとえば、《6つの小品 作品番号118(Six Pieces for Piano, Op. 118)》は、若い頃の自分を懐かしむような、哀愁に満ちたメロディが心に残る作品です。特に、〈第2曲 間奏曲(Op. 118-2 Intermezzo)〉は、涙がこぼれるほど美しい曲です。

 

とにかく、ブラームスを聴く際に、迷う必要はありません。前にも述べましたが、退屈な曲はひとつもありません。なので、長い曲も短い曲も、好きなだけたくさん、いろいろ聴いてみてください。みなさんがブラームスの音楽に親しんで、ファンになってくれるように、私は心から願っています。笑