~空蝉の巻~



 いよいよ源氏物語のお稽古も佳境に入って参りました。宮ヶ原千絵です。

今日の女性は、「空蝉」。みなさん、ご存知ですか?実は恥ずかしながら私、今回きちんと読み直すまでよく存じ上げなかったのです。なので少し丁寧にお話させていただこうかと思います。いや、彼女、なかなかのお人です。特に女性に人気があります…



空蝉は歳の離れた伊予の介(愛媛県の地方守護)、つまり中流貴族の若い後妻です。もともと中納言の娘だった彼女は、将来は入内を、と大切に育てられましたが、その両親は早く亡くなってしまいました。幼い弟小君と共に身寄りのなくなった彼女。伊予の介は父に仕え、以前から空蝉に想いを寄せていたのでした…愛ではないけれど、生きる道として、身分は低くとも財力のある地方貴族の妻となるのです。しかし、彼には亡くなった先妻との間に、息子、紀伊守(空蝉より年上)と、娘、軒派の荻がいました。しかも息子も密かに空蝉に横恋慕していて…。

さてさて、源氏が十七歳、空蝉が二十三歳の夏。復習ですが、この歳の源氏は大忙し。葵の上との冷えた夫婦関係、六条御息所との恋、更に藤壺との密通。緊張感の続く恋愛に疲れていた頃、雨夜の品定めで、女は中流がいいと聞いたばかり。そこへ来て、方違えで、急遽中川のほとりにある紀伊守邸に泊まることになった源氏が、同じく物忌みで実家から息子の家へ移っていた空蝉に興味を持たないわけがない!!(方違え…陰陽道で、縁起が悪い方向に向かう際、一端縁起の良い場所に泊まる習慣)聞けば少し不幸な身の上だし…皆が寝静まるのを待って、邸のそれらしき部屋に忍び込むと、小柄な女性が!!軽々と抱き上げて、寝室に連れて行ってしまいます。途中女房に会うも、「暁にお迎へにものせよ(夜が明けたらお迎えに参れ)」と、有無を言わせぬ迫力。源氏は強引にも想いを遂げてしまうのです。しかし…意外にも、源氏の愛を空蝉は拒みます。「どうせ私などしがない身分の女と侮ってのことでしょうが、身分の低い者には低い者なりの恥もプライドもあります。」今迄思い通りに生きてきた源氏にとって、これは初めての経験。内心侮っていた中流の女性の思わぬ心の強さに、逆に参ってしまうのです。なよ竹のように手折れそうで手折れない、と。この辺のやりとりは全て暗闇の中。まだ見ぬ女を思う夏の夜に男は汗ばみ、寝苦しさを覚える。えも言われぬ芳香から、女は源氏と気づく。なんとも大人の雰囲気です。

それから、小君を家来に引き取り、「伊予の介に嫁ぐ前からの恋仲だった」と嘘をつきます。素直な小君はそれを信じて、文使いや手引きに応じますが、肝心の空蝉は断固として拒み続けます。とうとう、源氏は邸に再び忍び込み、継娘と囲碁をうつ空蝉の姿を垣間見ますが…初めてしっかりと見たその人、なんと不美人。しかし…継娘は若くセクシーで美しいのですが、胸元が少しはだけていたりして品がない。空蝉は上品でたしなみがあり、情感がある、となおも源氏に思わせてしまうのです。いよいよ二度目の夜。ところが、なんと相手は継娘の軒端の荻。女は、まさかのアプローチに喜んでしまうのですが、源氏は魅力を感じません。前から慕っていた、とか、秘密にしておいて、とか囁いて取り繕う辺り、抜け目がありませんが…実は空蝉は気配に気づいて、上に着ていた小袿だけを残して逃げていたのです。源氏はその小袿を持ち帰り、抱いて寝ますが癒されず歌を送ります。これがもとで、空蝉と呼ばれるようになります。

「空蝉の身をかへてける木のもとに なほ人柄のなつかしきかな」(空蝉が抜け殻だけを残した木の下で、なほあなた様をお慕いして懐かしく思い返しています)

空蝉は、源氏が嫌いだったのでしょうか。いいえ、違います。幼い時ならまだしも、今は古受領の妻の身。美しくも若くもない自分が一時のもてあそびにして捨てられる恥に耐えられないという自尊心。源氏の魅力に激しく揺さぶられたからこそ、貞操を守るのです。

「空蝉の羽の露におく露の木がくれて しのびしのびにぬるる袖かな」(空蝉の羽の露のように、木の陰に隠れ人目を憚り、あなた様を思い密かに涙を流しています)

その後彼女は、新しい夫の赴任先、常陸の国に去っていきます。更に十二年後。須磨から戻った源氏が、石山寺詣での際に、数ある牛車の中から彼女の牛車を見つけ文を送るのです。二人は若い恋を懐かしみます。その後、伊予の介がこの世を去り、継息子の懸想を恐れた空蝉は出家してしまいます。こうして永遠に手に入らない人となった彼女に更に惹かれ、源氏は二条院に引き取るのです。



長くなりました。ところで、彼女のモデルは紫式部自身と言われています。舞台の中川のほとりは、式部生誕の地。プレイボーイの夫とのなれそめも、方違えの夜這いであるとか、美人の姉がいたとか。藤原道長の愛人としての苦悩からとか、若い頃に親王と叶わぬ秘密の恋をしたとか、様々説があります。大して美しくもないけれど、精神的魅力のある女性。いそうでいませんよねえ。ナルシズム等とも言われますが、このようなタイプに自分を重ねていたことが、彼女の美意識を象徴しているのではないでしょうか。また、口には出せない、この時代の貴族社会に生きる女性としての幸せや疑問も、見えてくるような気がします。空蝉の後には、まるで対照的な女性、夕顔が登場してきます。その辺りにも、式部の思いがあるのではないでしょうか。好きなら答えればいいのに、とあなたは思いますか?それとも…?