カエル
わけ


自分については
わかっている

おどる わけ











カエル
私は
ひばりちゃん

ちえみちゃん
のように
なってみたい

こころは
決まっていた



それは…

5歳にもみたない
頃である

ちゃんと
記憶が ある

本当で ある





ランニング
ただし…

みそらひばりちゃん

えりちえみちゃん
のようには
なれず

…唄も芝居も なく


観客が沸き立つ
劇場や映画館でもなく


ひっそりと
観客少ない場

踊るだけ の
しみじみと老いた人生

なった













カエル
自分が おどる わけ

はっきり

言葉にすると


それは…

わたしの命の刻を
生きること  だ







カエル
5歳くらいだった
すごく
嬉しいこと が
あった時に

「嬉しくて びょん!」

畳の上で
カエル跳びをした




其れが
私が踊った 始め
初めての踊り
で あります

大した 人生

はじまりだなぁ










カエル
ひとは
何故 おどるのか?


ある日突然
真剣に 考え始めた



それは
5歳でなく
50歳も過ぎ
還暦超えた 60歳過ぎ






きっかけは
踊る人生に 絶望したから
いや、
自分の踊る人生に絶望したから

ある










カエル
踊りには
神さまがいる



ほんとうです



踊りの神さまは
踊りを大切に思い
踊りを大切して生きている
そういうひと

微笑む



それはほんとうです











踊りのかみさまに

舞台の上で

微笑まれた
ような
気がする
瞬間があったのである



50年の間に

3回


それでも 絶望した









わたしが目指した踊りは
此の世には
もう
無い

いつのまにか
此の世から
消えてしまった

そう確信したからである




そして
この踊りは


誰にも
必要とされていない

オーマイが











芸事は
時の流れの中に
生まれ
消えていく


ひとの命と
おんなじ で あります











カエル
ひとびとが
踊りを踊るのは
楽しいから

多分 其れだけだ ろう

ま 違いない




しかし…
ひとびとが
踊りを観るのは

実は 踊る他人

観ていない




踊るひとを通じて

自分の心の中

覗きたいのだ





そこには
神に捧げるもの

あった

其れは 思いついた


其れは あったに違いない




しかし…
原点
つまり 踊りを観るわけは
エロスだと 私は想像する








元々は
男が 女が踊るのを
観たかったのだろう



ジェンダーでなく
セックスである
えろす



その後
エロス

時代の流れの中で
多様化し
芸事の秘められた原点に
なった…











カエル
「エロス…」
納得するまで 辛かった

しかし
納得したら
何も 怖くない



エロスとは
「生」
そのもの











カエル
身体を使う


身体を使う 動かす
きっかけは

きもち
想い
こころ

しかし
あくまでも身体を使う
のが
踊り  だ



動物の範囲の行動



忘れてはいけない
わたしは「人間」という
「けもの」なのだ






踊りは

人間の踊りは
「命を賭けた人生」
身体で あらわす
「想い」



「哲学」でも「宗教」でも決して ない



カエル
「嬉しくて ぴょん」