最近訪れた南伊豆の小さな神社の守り主:ビャクシンの木
歩く時は
☆ ゆっくりとけっして急がずに歩く
☆ 誰とも話さず、沈黙を守って歩くこと
☆ できれば、カミに出逢うつもりでそれを探しながら歩くこと
神(自分の最も深い関心)というのは、自分の外部と同様に内部にも存在する究極のもので、その本質は自分及び全ての自分たちに、善いもの、美しいもの、愛しいもの、幸せなもの、静かなもの、永遠なもの、真実なもの、等々として現れてくる。
逆に言えば、自分の内外を問わず、自分に善いものとして現われ、美しいものとして現われ、愛しいもの、幸せなもの、静かなもの、永遠なもの、真実なものとして現れるものは全て神であり、神の息吹と言えるものである。
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カミという人間の深い喜びについては、これまでも折に触れて記してきたが、僕たちがそれに出遭って心からよかったと思えるものがあれば、それが草であれ、樹木であれ、岩石であれ、海であれ、人であれ、昆虫であれ、ぼくはそれをカミと言う言葉で呼ぶ。
<ここで暮らす楽しみ> 山尾三省 著 野草車 刊
最近の私のテーマは歩くこと。
毎日の散歩や用事で外出する時は近隣ならばなるべく歩くようにしている。
今、ここでしていることに意識をむける、といことを始めてから、歩く時の意識の持ち方にも注意を払うようになった。
そんな時出逢ったが山尾三省さんの本 。
気が付いたのは、私はカミと出逢っていた、ということ。
歩いていると、 周りの風景だけではなく足元の小さな小さな生き物や花たち、餌をついばむ小鳥たち、空を翔遊する鳥たちに山尾さんがかかれている善いもの、美しいもの、愛しいもの、幸せなもの、静かなもの、永遠なもの、真実なもの、に触れていたことになる。
私は既にカミに出逢っていたのだ!
それは、皆に在る内なるカミが 感じさせるものであり、見させてくれているものなんだなぁ。
。。。。。。。。と、こういうお話を私の ところに相談に来てくださる人たちに話すと、とても嬉しそうな顔をする^^
私になにか使命があるとしたら、重い想いで身動きが取れなくなった人にちょっとだけ、力を貸すことかな。
私たちが本来の自分に気が付いたらこれほど素敵なことはない(^^)/
