子どもを育てることは自分を育てること、と書きました。
今回は性格の違いについて思うことを書きたいと思います。
子ども時代にどのような養育を受けるのか~が後のその人の性格の決定に多大な影響があると言われます。
前回書き込みでは、愛情深い養育者によって育てられた子どもは、言ってみれば安心型の安定した心の状態で育ち、対人関係も適当な距離を保ち、物事の見方も大きく歪むことがないので、適切な判断ができるのです。
一方全く違う経験をした子ども(保護と愛情を必要な時に与えられない)はどうでしょう。怖いと感じたときに、養育者であるはずの人に快適さをみいだせない子どもたち・・・。当然のように不安をを覚え、孤独を感じることでしょう。
このようなことが繰り返し起こると、この子は安全な場所がない、と感じ信頼できる他者は誰もいないと思うようになります。
このような子は他者の愛情を求めるようになります。愛してくれる人の関心を引き、庇護を求めるようになります。大人になってもその想いを心に秘め、他者との親密さを求め、それでいて、手に入らないのではないかといつも不安におもってしまいます。失うことへの強い不安があります。
他の人と過ごすことは好みますが、まわりの眼を気にします。すぐに他の人の距離や拒絶を感じてますます他の人に依存していく結果になります。
また、このような養育態度で育てられた場合のもう一つのタイプに、他の人々との深い関わりを避ける・・心を閉ざしてしまっている状態の人がいます。
このような人々は愛情や人との交わりを求める気持ちが弱いのです。他の人と精神的な距離を大きく置き、親密であることに居心地の悪さを感じるようです。このような人々は他の人には依存することはほとんどないのですが、他の人の善意を信じることが出来ず、パートナーが親密な関係を望んでも、それに応えることが出来ないし、必要性を感じないのです。自分の間違いを認めることは、そうした自分の拠り所の否定になるので、認めない傾向が強いです。認めると苦しむことになるからです。
自分を知ることの手立ては、性格診断などの方法があります。それも大いに助けになることは確かです。でも、人は育つ過程でたくさんのさまざまな要素があり、一直線上に原因がこれだからこのような性格・・・と一概には言えないと思います。自他のタイプを固定的にとらえてしまうことも決めつけ・・になって危険です。
大切な人が、どうしても理解できないとき、そしてコミニケーションがうまくとれないときに、相手の傾向を知る、ことは助けになります。
例えば、他者の愛を過剰に求める人と、親密になることを回避する人が出会い、恋愛をしたらどうでしょう?
お互いが全く理解不能で苦しむ結果になります。
思い込み、決めつけをを避けるためにも、まず自分を知る・・・これは他の人を理解する一つのステップになります。それが、よりよいパートナーシップを築くのを助け、より良い対人関係を保つことになるのでは~と思います。
完全な人はいない・・・よね^^
誰でも心の中に庇護を求める小さな子どもがいます。それを認めて、理解するとき、自分にとってのい癒しが起こる・・・そんな気がします。
長々と書きました。読んでくださってありがとうございます。