ニコラス・エプリー博士
シカゴ大学ブース校(経営大学院)教授。組織心理学を担当。
コーネル大学 (心理学博士)。
「人の心は読めるか?」 米シカゴ大の有名教授が語る。 ハーバード大学、シカゴ大学の准教授を経験。近著に『Mindwise』(邦訳『人の心は読めるか?』(ハヤカワ・ノンフィクション)。同書の日本語版は「日本経済新聞」の2015年2月15日付の書評にも取り上げられている。ニューヨークタイムズ紙にも多数寄稿。『世界の経営大学院の40歳以下の優秀教授40人』(2014年)に選ばれる。
1. あなたの最近の著書である『Mindwise』(邦訳『人の心は読めるか?』(ハヤカワ・ノンフィクション)を執筆する動機は何だったのでしょうか。 いくつかのことがこの本を書く動機になった。大きな要素として、大学院に進学して以来、20年ぐらいかけて、人はいかに他人を理解するかを研究していることがあげられる。私のキャリヤにおいてあるポイントに到達した。そのとき、我々が行っていた研究の影響をもっと拡大するために何ができるかを考えた。単に典型的な学術系の読者より幅広い人々に関心を持ってもらうために何かできないかと思った。この研究をもっと大きなものにふくらませることができると思ったので、本の執筆に挑戦した。
学者の仕事の素晴らしいのは、自分がしたいことが本当にできるところだ。もし、ある日、自分の研究を学者よりも幅広い人々に興味をもってもらうようにすると決めたら、それを試すことができる。それが本の執筆の動機だった。そして、個人的に、私は、もう一つ挑戦することがあればいいと考え、同時に、心理学の分野の視点から人々に役立つ研究結果があると思った。そして、これらを実行することよりも差し迫った必要性をもっているものはなかった。これらの2つの要素が一緒になって、動機付けとなった。
追加質問:著書『Mindwise』が高い評価を得ているようです。この反応に驚きましたか。 あなたのこの質問は興味深い。想像できると思うが、本の中でも説明されるように、著書の視点は観察者のそれとは随分異なる。観察者として、あなたは、この本が数人に褒められたことに気付いたかもしれない。私は、その称賛を非常に喜んでいる。本の書評を書いた真面目な人々から好評を得た。そうした事実にも喜んでいる。もちろん、著者として、私が得た批判にも極めて敏感である。それうした批判も少しばかり存在した。私が、総合的に好意的な意見を述べた書評を読み通すときに、仮にそのなかに一文の批判があれば、その批判こそが、私が記憶に留めるべき文章である。私の書籍に関する他人の反応に対する経験は、あなたが思うよりも謙虚なのもだといっていい。
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2. あなたの本では、人間の「第六感」、つまり、人の心を読み取る私たちの能力に関して、いくつかの研究を紹介し、人間はこの感覚が苦手だという結論に導いています。その根本な原因は何だと思いますか。なぜ、私たちの判断における「間違い」に関する認識が高まると、第六感が改善されるのでしょうか。 その質問はいくつかの要素を含んでいる。それぞれを順に取り上げる。第一に、あなたは、次のように指摘した。私自身が、私たち人間は第六感を活用することが苦手だと考え、その意見を本で示した。あなたの主張は、部分的は正しい。しかし、私の議論はもう少し微妙である。私たちがお互いに理解し合えないとは主張するつもりはない。さまざまな程度において、地球にいる私たち一人ひとりは、私たちが知っている限り、他の種にない能力がある。その能力とは、他人の心、意図、動機を考えることである。また、洗練された表現を活用し、他人に考えを伝え、気持ちを共有する能力でもある。
一般的には、この地球にいる他の種より、私たちは、それがうまくできる。それが、私たちが協力したり、競争したりする今のような巨大な「社会的集団」のなかで生活していける理由である。私たちは、非常に複雑な社会的環境で効率よく、しかも円滑に協力しながら働いている。私たちは、基本的なレベルにおいて、一般的にこれがかなり得意である。それに対する私たちの精度は、ゼロより高い。しかし、主な研究結果は、繰り返して、次の点を示唆する。つまり、私たちは完璧からほど遠く、私たちの社会的理解を改善する余地も多くある。他人とは、あなたが人生で出会う最も複雑なものであり、お互いにより良く理解し合う必要がある。
繰り返し行われた研究結果で明らかになったもうひとつの点は、次のことである。私たちがどんなに理解し合っていても、例えば、私の妻が誕生日のプレゼントとして何が欲しいか、私の子供たちの学校で何が行われているか、今日は彼らがどう感じているかなどに関して、私たちは思うほど、予想はできないということである。その主な原因は、能力の欠如、つまり私たちはこれができないということではないと私は思う。その理由は、自信過剰、謙虚の欠如である。つまり、私たちが実際理解し合っているより高い程度で私たちがお互いに理解できると思い込んでいる点にある。この自信過剰の根本原因は何か。主な原因は2つあると私は思う。私たちは、完璧に理解し合っていないという理由に焦点を当てる。理解し合う能力を生かすべきときに、それを使わないことに、「広範囲な間違い」が由来している。どんな能力にも、そうした点は共通する。その能力を意識的に活用しようとするときは、効率的にその能力をつかる。それは、目を閉じて歩くことにちょっと似ている。目を開ければ周りが見えるが、同時に目を閉じることもできる。そして、このとき、あなたは、かならずしも、ここで問題になっている能力を使っているわけではない。
他人の心に対する私たちの感覚も、同じように機能している。そうした感覚を使うべきすべての場合に、絶えず使っているわけではないのである。結果は、自分の目を閉じるような感じに似ている。目を閉じていれば、あなたのすぐ前のものが見えない。他人の心に関心をもたなければ、彼らの心が全然見えない。ときどき、その人には他人の心を読む力がないと結論づけるかもしれない。つまり、相手には心がないように思ってしまうのである。そして、そうした状況は、私たちが「dehumanization」 (非人間化)と呼ぶ現象をもたらす。そのとき、あなたは、相手の心にかかわり合っていないのである。
もう一種の間違いは、私たちが実際に相手の心に関わり合おうとしているときにおかす誤りによって発生する。例えば、今現在(このインタビューを受けている今)、私は、私たちが読心術者のように振舞うときに直面する問題を体験している。私は、あなたを見ることができないインタビューで、コミュニケーションを図ろうとしている。あなたは、こちら(私のいるところ)、つまり私の前にいるわけではない。あなたは、地球の他の場所(日本)にいる。あなたが、今日、このインタビューの前に、何をしていたかについて、何も分からない。あなたの生い立ちについてあまり詳しくない。私の本来の心とは、かなり異なった心に、複雑なことを説明しようとしている。私たちが他人を理解するために用いている方法のひとつは、自分の心を羅針盤として使うので、たとえば、それができないこのインタビューの状況は、大きな挑戦になる。
私は、裏も表も、すべてを知り尽くしているこの本について、あなたに説明している。出版する前に、4年間を費やし、本のことを考え、全ての詳細を検討し、執筆し、修正を行った。そのように、私はこの本を知り尽くしているわけである。その結果、実際にそうであるよりも、本の内容はあなたに明確であるという結論に導かれてしまう。私には本の内容は明確なので、あなたにも明確だと、私は思ってしまう可能性が高い。これは、私たちが他人の心を考えるときに直面する最初の困難を表している。これは、他人が私たちと同じように考える仮定のことをいい、「egocentrism 」(自己中心性)と呼ばれる。
第二の課題は、いったん誰かについてより多くを知ると、私たちは固定観念で見る傾向があるという点だ。私がシカゴからあなたと話している。私はアメリカ人。あなたは東京から話している。だから、あなたは日本人である。完全に正確でない方法で、私たちの会話に浸透しているアメリカ人と日本人はどういう人間かに関する既成概念がある。例えば、あなたが、ある人が保守派かリベラル派かのような政治信条について何かを学ぶと、その情報が(相手の心を読むことにおいて)偶然より高い確率の正確さを生み出す。
しかし、このような固定概念の問題点は、グループ間の類似点ではなく、相違点に焦点を当てる傾向があることにある。アメリカ人に関するあなたが抱いている固定観念は、アメリカ人のどのような特徴や属性が他国の人々と差異があるかである。どのようにアメリカ人が他国の人々と同じかについてではない。事実は、多くの類似点を共有しているにもかかわらず、この傾向は、私たちがグループ間の違いを誇張するようにみちびく可能性がある。私たちは皆、自分の子供を愛している。私たちは皆、おいしい食事や面白い経験を好む。私たちは皆、新しいことを学ぶのが好きだし、人生において何らかの自律の感覚を持っている。人間であることに由来する類似点の方が(相違点よりも)多いが、固定観念は相違点に焦点を当て、これらの類似点を見逃してしまう。この傾向は、ときには、私たちが、実際以上に個人間の相違点が大きいように想像してしまうことにつながる可能性もある。
例えば、読心術の分野では、女性と男性の間の違いに関するとても強い信念が存在する。女性は男性より社交性に敏感である。女性は他人の感情を理解する能力がより高いし、男性より、社交的手掛かりに敏感でもある。女性は、何がほしいか、何が必要と思うかをよりうまく把握できる。この固定観念には幾分の真実が含まれるが、その度合いは大きくない。統計的な効果でいえば比較的に小さい。全然相関関係のない相関係数「0」に比べて、「0.2」程度の相関関係に該当する。しかし、人々にジェンダー(性別の)効果を予測してもらえば、「0.2」ではなく、「0.8」程度を予測する。つまり、人々は男女の違いを大幅に誇張する。男性と女性はとても異なることを示唆する、とても人気あり国際的なベスト・セラーになった本がある。本のタイトルは『Men are from Mars, Women are from Venus』(『男性は火星から、女性は金星からやってきた』)だ。実は、(本のタイトルも示唆する)こうした固定観念が、男女の心の違いを誇張する傾向をもつ。
他人の心を理解するときの最後の課題は次のようなものだ。いったん私たちが相手についてもっと知り得たら、私がいつも私の大学院生と接しているように、相手の行動を長期的に観察できるようになる。もし、あなたと私が一緒に少しの時間を過ごしたら、あなたのことを詳しく知ることになる。私はあなたの行動を観察する。それから、そのあなたの行動を指針にして、あなたが何を考えているかを想像する。このときの問題は、行動が誤解を生むことである。なぜなら、私たちは行動を額面通りに受け止める傾向があるからだ。私たちは、その行動が発生した文脈を見逃しがちである。その結果、その行動が、本来の姿とは随分変わったように見える。
たとえば、もしあなたが、私はどのような人間で、どのくらい社交的か、または外交的かを把握しようとしたら、このインタビュー中の私の行動を参考にするかもしれない。私は話し好きで、かなりのおしゃべりである。とりとめなく、話し続ける。しかし、真実は、私はほとんどの場合、かなり内気である。この状況では、あなたがたが私をインタビューしていて、私の仕事は話すことだ。あなた方が質問をし、私が答える。行動に関する問題は、複雑なので解釈しにくいので、若干誤解する可能性があることだ。私の現在の行動は、私が今いる状況だけでなく私の性格の両方に依存している。私たちは、相互に理解するとき、状況を見逃し、観察している行動を重視しすぎる傾向がある。こうした傾向が、いくつかの間違いにつながる可能性がある。
ここまでの私の意見を要約すれば、他人の心を読むことを困難にする2つの大きな課題があると思う。その一つは、私たちがそうすべきときに、他人を理解する能力を必ずしも活用しているわけではないことだ。それから、(2番目は)、他人を理解し合うために踏むプロセスは、体系的な誤り(システマティック・ミステイク)を引き起こすかもしれない。そうした誤りは、(1)自己中心性、(2)固定観念、(3)相手の観察可能な行動への過度な依存に起因する。
3. 高文脈(ハイコンテクスト)言語*1をもつ日本やその他の国では、人々は自分の「心の内」を明確に話す傾向が弱いといえます。しかも、こうした国の場合、権力距離*2も大きいように思えます。このような国の組織において、直接的で、透明性の高いコミュニケーションを促進するために、どのようなアドバイスをしますか。アジア人と一緒に仕事をする西洋人に対して、どのようなことを勧めますか。 *1 言葉以外に情報や文脈の情報も伝達される文化が採用する言語。
*2 権力距離。権力格差。権力距離が大きい場合、たとえば社長と一般社員が顔を合わせる機会が少なくなる。
一つ考えているのは、従業員の中にオープンで率直なコミュニケーションを促すことで有名になっている組織が存在することである。たとえば、私の画面にあるあなたのスカイプ・イメージの後ろには、トヨタのロゴが表示されることに、私は気づいている。トヨタの企業理念は7つの柱から成り立っている。その一つが、継続的な改善、いわゆる「カイゼン」という概念である。トヨタはとても面白い事例である。同社が初めてアメリカに参入したときに、つまり、自動車生産の現地工場を立ち上げ始めたときの最初の工場は、GM社とのNUMMI (New United Motor Manufacturing, Inc.、ヌーミ) という合弁会社であった。NUMMIのプラントは、GMがその2年前に閉鎖したカリフォルニア州フリーモント市にあった工場であった。それは、GM社の業績が最悪の時期で、最悪の工場であった。その工場は本当に質の悪い自動車を製造していた。アメリカの自動車市場におけるGMの市場占有率はとても大きかったが、GM社は基本的にガラクタを生産していて、すべてのアメリカ人はそれを知っていた。そのなかでも、フリーモント市の工場は、全体の製品ラインのなかで最も質が悪く、GM社が閉鎖したものだった。
トヨタはアメリカに参入し、製造基盤をここアメリカで設立したかった。その代わりに、GM社は、トヨタからいくつか革新的な技術を得たいと考えた。その結果、両社はフリーモントの工場を再開することに決めた。アメリカの労働組合、具体的に、全米自動車労働組合の代表であるブルース・リー(Bruce Lee)は、この新規企業NUMMIがGM社の幹部を全員再雇用するように要求した。トヨタもGMもそうしたくはなかったが、仕方なくそうせざるを得なかった。さらに、基本的に一時解雇になっていた社員のほとんど、その90%を再雇用することになった。これらの再雇用者たちこそ、GM社の最悪の工場で働いていた労働者たちだった。
しかし、トヨタの経営管理原則はアメリカとは違う哲学に基づいていた。トヨタの経営幹部は、社員はいい仕事をして成果を出したいと考えていると基本的に信じていた。社員は、自分の仕事に対して誇りをもっている。彼らは、自分が遂行している仕事に対して、ある種の畏敬の念をもちたいと思っている。くわえて、彼らは、ある種の自律の感覚、そして自分の仕事が有意義だという感覚をほしいと考えている。トヨタの社員たちは、私が今朝、電車の中で話した看護師が自分の仕事に欠けているという感覚が必要だと考えた。GM社の経営幹部は、従業員とはどういうものかということについて、トヨタ社とは大きく異なった哲学をもっていて、それは数年間に及んだ経験にもとづくものだった。GMの哲学は、彼らの従業員は愚かで、お金(給料)をもらえるから単にそこにいる、というものだった。一方、トヨタの経営幹部は、社員は成果を出したい、そして、彼らの意見を聞いてさえしてあげれば、仕事の改善の方法を自発的に考えるという哲学を持っていたのである。
これはアメリカと日本の両国における多くの社会的場面に当てはまるかもしれないと、あなたが説明した、その「文化的固定観念」に反するような経営哲学だといえる。すなわち、トヨタには、従業員からのフィードバックに対して、管理職に心を開かせる経営哲学があるという事例だ。GM社には、自分の従業員から何も聞きたくないという工場の幹部がいた。その管理職は、社員が、自分の仕事についてどう考えているかをまったく気にしなかった。彼らは、従業員を機械の中の歯車として考えていた。「とにかく、自動車組立つラインに立って、仕事をしろ」というように。
一方、トヨタの経営層・管理職がやってきて、次のように発言した。「私たちは、従業員の考えていることや信じていることに配慮する。従業員は自分の仕事をどうやって改善するかを知っていることを私たちは認識していることを告げたい。そして、より質の高い工場を作り出す方法を従業員が経営幹部に提案する権限を彼らに付与する」。トヨタの管理職はこの理念を従業員に伝えた。トヨタの管理職は、工場の現場までおりてきた。そうした光景はGM社の社員は決して見たことがないと述べた。トヨタの管理職はいつも工場の現場にいた。さらに、のちに有名になったアンドン・コード(紐)という装置を導入した。それは、生産ラインを止めるために、従業員が引く紐のようなものだ。最初にその紐が引っ張られても、ラインが止まらない。2回目に引っ張られると生産ラインが停止した。従業員は、何か改善できそうなことや問題になりそうなことに気づいたら、この紐を引っ張った。このような環境、つまりトヨタが従業員のために創造してこの世界は、経営層の「カイゼン」への信念、そして従業員はいい仕事をすることを気にかけている人間だという認識によって推進された。それから彼らの従業員が自分の仕事をうまく遂行したい人間である気付に基づいていた。単に権限をあたえるだけで、従業員は自分の仕事を改善する方法を教えてくれる。
この合弁会社の成功は本当に驚くべきことである。かつて、この工場は、他の工場より多くの欠陥車を製造し、とんでもない欠勤率を記録し、薬物使用、男女問題など、生産性を低下させる想像可能なすべての要因に苦しんでいた。それが、再開1年以内に、GM社の工場の中で最高の工場に生まれ変わった。異なる環境と経営哲学のもとで、以前とまったく同じ管理職のもとで働きながら、欠陥車率と欠勤率は極めて低い水準になった。従業員は、仕事に大きな誇りを抱くようになった。業界アナリストの計算では、以前の工場なら、NUMMIと同じ生産量を確保するためには従業員数を50%増やす必要があり、その場合でも、欠陥車率はとても高かっただろう。
ここに貴重な教訓がある。管理職は、世界のどこの国にいても、心を開いた話し合いを促進できる。マネージャーまたは指導者として、自分の従業員が人間であり、最善を尽くそうと努力していて、おそらく自分の仕事について、マネージャーや指導者のあなたより詳しいことを認め、そして謙虚な気持ちを保ち、あなたにも分からないことがあると信じる。あなたがそうしたことを認識することが、従業員が正直に自分の考えをあなたに伝えられる場作りの出発点となる。地球のどこにいても、このトヨタの事例を念頭に置けば、従業員が自分の意見を述べることを可能するために、何をすべきなのか、理解できるだろう。
従業員側からいうと、これがもう少しい難しい問題になる。この場合は、あなた自身が本格的に、正式な権限を持っていない他人に対して、影響を与えようとしている。だから、どのような場所であっても、心を開いた話し合いをする機会を見出す必要がある。どこで、あなたの(ブログの)読者がその機会が発見できるかについて私には洞察がない。しかし、人は、おそらく自分が話したい話題を持ち出す機会を見つけられるだろう。人々はこうした会話の機会はどこにあるのか、また、どうのように利用すればよいのかを考える必要がある。これらの機会を活用し、遠慮のないオープンな話し合いを促進するために、私は二重の提案をしたいと思う。そのひとつは、あなたが話していることはおそらく現実ではないかもしれないことを認めることである。あなたが仕事に満足していない、または正当な報酬を受け取っていないと思うなら、それは(個人的な)認識の問題であって、その捉え方は従業員か雇用主かによって異なる。その結果、あなたは、謙虚な態度で、この話し合いの過程に対応する必要がある。
難しい話し合いのときに役立つもう一つの手法は、現状より将来に集中することである。たとえば、今現在、あなたが配偶者ともめていて、それについての話し合いを持ち出す方法を見出そうとしているとしよう。この種類の話し合いを行うのは難しい。まず、あなたの考えていることを表現することは難しい。そして、このような文脈のなかで、配偶者が自分の考えを吐露するのも難しい。なぜなら、防衛的なるからだ。この場合、標準的な方法は、現在の関係で何が起こっているかを話し合うか、またはお互いの関係のなかで過去に起きたことに集中することである。この方法は、人々を極端に防衛的にする。
こうした防衛的な態度を和らげるひとつの方法は、現在や過去について話さずに、将来について、オープンな話し合いを展開することである。配偶者のところに行って次のように語ることができる。「ちょっと聞いて。私は、生涯、君と一生にいることを約束した。だから、今後、20、30、40年間、つまり、死が私たちを分かつまで、なるべく良い結婚生活を送りたいと思う。これから先、そのような結婚生活を送れるように努力したい。現状はどうなっているか、私は心配していない。その代わりに、今後、5、10年間は何をすれば、最高の結婚生活を造り上げられるかについて一緒に考えたいと思っている」。あなたも配偶者もそれを望むので、将来のことに集中したら、現在の困難を話し合う手助けになるかもしれない。
こうしたことは、会社でも採用できる。上司に向かって次のように話すことができる。「聞いてください。私は、長くこの仕事がしたい。この会社は私にとって素晴らしい職場である。年月を重ねて、仕事面で卓越したいと思い、どうすれば良いかを本当に考えている。現在、私が、自分の潜在能力の最大限までを活かして仕事をしていないのではないかと心配している。今は、ここにいるが、2年後は私たちがそちらにいたい。その目標を達成するために、あなたと私で、そのための展開計画を作成しませんか」。未来に焦点を当て会話を始めると、心を開いた会話が可能となる。なぜなら、人々は将来に関しては防衛的にはならないからである。将来はまだ起こっていない。だから、将来についての意見、考え方を合わせるのは容易なことだ。あなたも上司も今後2年間にあなたが成功することを希望している。つまり、二人とも、同じ考え方を共有している。
4. ニューヨークタイムズ紙の記事で、あなたはフレーミング効果に言及し、「税金のリベート(払い戻し)」よりも「税金ボーナス」と呼ばれるときのほうが、税金の還付金のより多くの割合が使われると説明しました。どのようなときに、フレーミング効果が高くなりえるか。いくつかの具体例を挙げてください。 私たちの研究から、フレーミング効果の例を紹介しよう。それは、最近の日本の消費税増税に関するあなたの(次の)質問に類似する。それは数年前に実施した研究だ。その研究では、お金が異なった方法で表現されたとき、人々がどのようにお金を取り扱うか、あるいは使用するかを検討した。お金の使い方のような行動を研究する必要があるのかと奇妙に思えるだろう。なぜなら、お金は結局お金だからだ。しかし、面白いことに、人間はすべての金を同じように使っているわけではないことが明らかいになった。フレーミングとは、説明の仕方に依存して、どのように行動し、あるいはあるものまたは刺激をどのように扱い、評価するか、その単純な相違のことを意味する。たとえば、クレジット・カード税金とクレジット・カード課徴金は同じことだろう。しかし、税金と課徴金では違う響きがある。政府は、年末、経済を刺激するために国民に税金を還付できる。それは、私たちの政府(つまり、アメリカの連邦政府)が数年前に実施したことだ。政府はいくつかの異なる方法で、還付金を配布できる。たとえば、「税金の払い戻し」と呼べるであろう。つまり、政府はあなたが支払った税金を部分的に還付、払い戻している。あるいは、ボーナスとも呼べるだろう。
両方の用語(表現)は客観的に正しい。どちらの表現もその他の表現よりも真実に近いわけではない(つまり、両方とも同じレベルで正しい)。連邦政府があなたにお金を返している。それは、ボーナスである。しかし、政府はあなたが既に納税した税金からそれを返しているので、還付と呼んでもよい。両方ともお金である。ドルは、ドルであり、円は円、そしてユーロがユーロであるように。どのように表現しようとしても、お金はお金であり同じだ。しかし、呼び方を変えることは、人がお金についてどのように考えるかを変える。私たちが実験で発見したことは、人々は、還付された金を払い戻しと呼ぶ代わりにボーナスと呼んだほうが、そのお金を消費する確率がかなり高まったことである。その理由は、私があなたに払い戻し金を与えた場合、あなたはその金を自分が既に支払った資金が返金されているように理解・解釈する点にある。
まるで、私が通りであなたに近づき、肩を叩き、「これは私が道で見つけた金だ。もしかして、あなたの財布から落ちたものかな」のように話したような感じである。私は、その代わりに、「ここにお金がある。道で私が見つけたお金だ。あなたが欲しいだろうから、あげたい」ということもできる。どちらのケースでも、あなたの財産は、私があなたにあげた金額分増加することになる。前者の場合は、おそらくあなたは、財産が増えたが気がしないだろう。なぜなら、私が、単に、あなたが以前持っていたお金を返しただけだからだ。客観的な意味で、あなたの銀行口座の残高が増えたわけではない。
後者の場合、つまり、私が与えるお金をボーナスと呼んだら、あなたは以前持っていなかったお金をもらっている気分になる。繰り返します。どちらのケースでもあなたは同じ金額分財産が増える。だが、心理的に、感じ方が違う。もし余分なお金があれば、余分なお金がないと感じるときにより、その金を使う可能性が高い。私たちの実験では、お金をボーナスと呼んだら、払い戻し金と呼ぶときよりも、参加者はその金を使う確率が高くなった。実際、お金を使う確率は8倍高まった。これらのフレーミング効果は、私が見たことのある効果の中で最も大きな効果を示した例のひとつだった。参加者は払戻金を蓄えたが、ボーナスは使ってしまった。
これがフレーミング効果の一つの例である。フレーミング効果はほとんどどこでおこなうことができる。ある政策がない場合に失われる命の数に対して、その政策によって救われる命の数について話すことができる。たとえば、(摂取)カロリーに関して、国民がもっと健康的な食生活をしたいアメリカでは、大きな問題になっている。この場合、あなたが食べる肉が80%低脂肪だと表現してもいいし、脂肪率が20%と説明してもよい。両方とも同じことを表現しているが、あなたは80%低脂肪の肉を食べて、20%の脂肪率の肉を摂取しないだろう。両方とも客観的に同じ現実を描写しているが、それぞれの表現が極めて違うイメージを想像させる。あなたが評価している刺激になんらかの曖昧さ、または不確実さがあるときに、このようなフレーミング効果は最も大きな効果をもつ。あなたが食べている肉ははたして健康に良いのか。それは絶対確実ではない。それはあなたの説明の仕方次第である。80%低脂肪と呼べば、20%脂肪率と説明するより、健康に良い響きをもつ。
仮に何かがとても具体的なら、事実も明確である。そのような場合は、フレーミング効果があまり見受けられない。しかし、何らかの曖昧さのある状態がある。そうした状態は実際にかなり多い。私たちの実験において、お金の問題で、こうしたフレーミング効果が普通に見受けられる。お金は、ほぼ間違いなく、評価できる最も客観的なものである。1ドルは1ドル。1円は1円。1ユーロは1ユーロ。それらはすべて同じだ。それらは客観的な金額である。私が「お金」をどのように表現しても、あなたの持っているお金の量に影響はない。私が50ドルをあげる、または50円をあげるとしたら、あなたは客観的にそれがいくらかを計算できる。しかし、あなたがその金を使うかどうかの決定は曖昧なのである。その点で、フレーミング効果を見ることができる。
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このブログは、ジョーが執筆し、皆様にお届け致します。ジョーことジョセフ・ガブリエラ は、2000年に来日したアメリカ人。格闘技ファンなら誰でも知てる、K-1ファイターのアンディー・フグ氏にそっくり!1989年米国ワートン・スクールを卒業。その後ペパーダイン大学を皮切りに、イリノイ大学、南フリダ大学を卒業。MBAを含め2つの修士号と博士号を取得しました。日米合弁IT関連企業、スイス系証券会社、米系銀行、そして日系外食企業など幅広い業界の勤務を通して様々なビジネス経験を積みました。趣味は、水泳、読書(村上春樹氏の大ファン!)、ピアノ、そして様々な国の言葉を勉強する事です。ちなみに、2年前から新たに中国語勉強に励んでいます!この記事についてのご質問、感想、また意見を歓迎します。また、共同研究者である杉本有造氏とともにコンサルティング業務も行っていますので、お気軽にご相談ください。
また、次のような「アメリカ・ビジネスの最前線を切る!!」をテーマにしたブログも公開しているので、あわせてご一読いただければ幸いです。
「アメリカ・ビジネスの最前線を切る!!」の目的 皆さんのビジネスリーダーとしての知識欲をさらに刺激するために、毎月、2回の頻度で、「アメリカ・ビジネスの最前線」を主な対象にして、「アメリカ・ビジネスでいま何が起こっているのか」「どのような最新技術に注目が集まっているのか」「日本や日本製品はアメリカでどのように評価されているのか」といった点について、アメリカ人としての見解を掲載します。日本のメディアでは、日本人による単一的(あるいは一方的)な見解が主張される傾向が強いように思えます。このブログ記事では、「世界には多様な考えがある」ということを日本の読者に具体的なテーマで知ってもらうことを意識しています。日本や日本人に対する外国人の見解、考え方を知ることで、読者自身の世界観を広げ、最終的にはビジネスチャンスにつなげてもらえればと願っています。とりあげてもらいたい「旬の話題」や建設的なご提案など、お気軽に著者までご連絡いただければ幸いです。
ジョセフ・ガブリエラ 博士/MBA
東洋大学
gabriella@toyo.jp
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「世界のどこでも働ける日本人になろう」 「アメリカ・ビジネスの最前線を切る!」 「Venture Into Japan」 杉本 有造 博士/MBA
IES全米大学連盟・東京センター
(The Institute for the International Education of Students, Tokyo)講師
gpmalibu@yahoo.co.jp
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