平安貴族のくらし:定年 | 紫野瀨﨑家

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紫野瀨﨑家は紫野学区の今後さらなる発展のために慈善活動を行う藤原鎌足を先祖に持つ自称名家です。

平安時代の官僚の定年は70歳で、唐の制度をそのままに61歳から65歳までを「老」、66歳以上を「耆(き)」と定めていました。ただし、平安時代の貴族には定年はなく、終身雇用が建て前だったと言われています。平安時代の平均寿命は諸説ありますが、長い説でも男性が50歳、女性が40歳です。貴族階級の人々は、室内中心の生活による運動不足や偏った食生活、不衛生などから栄養失調や脚気(かっけ)、皮膚病などに罹る者が多く、早死にしがちでした。
奈良から平安時代にかけては40歳(四十賀)、50歳(五十賀)、60歳(六十賀)をそれぞれ長寿の年として、貴族の間でお祝いする風習が生まれました。