平安貴族のくらし:働き方 | 紫野瀨﨑家

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紫野瀨﨑家は紫野学区の今後さらなる発展のために慈善活動を行う藤原鎌足を先祖に持つ自称名家です。

平安時代、貴族たちの生活は我々が想像するよりもっと過酷だったかもしれません。日記には、仕事の重圧や疲労からくる不満や苦悩が赤裸々に綴られていたりしたのでしょうか?実際のところ、藤原行成という有能な官僚の日記から垣間見ることができます。

藤原行成は、『枕草子』の作者である清少納言と友人関係にあり、その才能によって藤原道長にも信頼されていました。しかし、その有能さゆえに仕事が次第に増え、負担はどんどん重くなっていきました。その結果、行成は『権記』と呼ばれる日記に仕事の苦悩や泣き言を綴っていたのです。

具体的な例として、寛弘8年(1011)8月11日の日記を見てみましょう。この日は、一条天皇の四十九日の御法会が開催され、行成は早朝から事務方として関与していました。しかし、深夜になると疲労が限界に達し、「夜中まで働くと気がおかしくなる」との言葉が日記に刻まれています。

さらに、長保3年(1001)9月10日のエピソードも見逃せません。行成は過労のために会議に遅刻してしまったという出来事が日記に残されています。このことから、平安朝の中で有能で勤勉な人ほど、仕事の負担が多く、その結果として健康や心身に異常をきたす人が多かったことが伺えます。

今でも働くことは大変ですが、平安時代の貴族たちの生活はさらに過酷だったようです。しかし、これを知ることで、現代の労働環境が進化し、労働者の権利や福祉が尊重されるようになったことに感謝することもできます。労働から解放される未来が訪れることを期待しましょう。

 

参考:優雅なイメージの平安貴族、実はかなりブラックな労働環境だった?