香港でインタビューを受けた話 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

先月、実に1年9ヵ月ぶりに香港へ帰った。前回、予約した重慶大厦のホステルでは、いきなり宿どころか建物まで移動させられるという散々な目に遭ったので、今回は10年ほど前に泊まった事のあるMirador Mansionの宿を予約した。階数は変わっていたものの、相変わらず冷蔵庫はあるし、また建物的には数階しか止まらない高速エレベーターもあるので、重慶大厦に比べると極めて快適である。

 

私がまず最初に行く所は、当然Sha Tinにある文化博物館のブルース・リーのエキシビションである。本来は2013年から5年限定の予定だったのに、その後リニューアルを繰り返して結局2026年までの公開となっている。そこを後にした後は、現在4月まで開催されている九龍城寨之圍城、Twilight of The Warriors Walled INのエキシビションへと向かった。

 

前回、Kai Tak駅に来る事はなかったので、開業以来初めてここに来る事になった。当然、開催されているAIRSIDEに来るのも初めてである。エキシビションは小さいスペースであったのだが、その精工なるディティールには感動したものである。しばらく眺めていると、突然「日本人ですか?」と話しかけてきた女性が居た。その女性は香港通ならお馴染みの英字新聞、South China Morining Postの記者であり、自己紹介するまでもなく記者IDのロゴですぐに分かった。

 

「何故この映画が日本でヒットしているのか教えてほしい」と聞かれたので、もちろん二つ返事でOKした。一度、コロナ前の2019年に、尖沙咀でテレ朝にインタビューされた事はあったものの、英語でこれだけ受け答えしたのはもちろん初めてだった。当然、即興だったのでその場で思いつく限りであったが、大体の理由は述べる事が出来たと思う。最後に、写真と私の英語名を教えて終わった。

 

3日後、遂にウェブサイトに私の記事と写真が掲載された。2013年、ブルース・リーの40周年追悼番組に呼ばれて出演した事はあったものの、今回はそれに次ぐ名誉と言っていいかも知れない。非常に光栄かつラッキーな出来事だったが、私的には香港愛を貫き通した必然の結果だったと思っている。そして、私はもちろんだが記者の人もラッキーだったと思う。日本人でこれだけ香港と香港映画に詳しく、さらに通訳不要なレベルで英語堪能な日本人に会う確率など非常に低いはずである。実際、日本の3連休に被ったので、かなり多くの日本人を見かけたのだけれども、大半が簡単な会話も出来ていなかった。

 

一応、他の日本人の意見もあったのだが、私に比べたら雀の涙程度だった。まあ、正直日本の専門家にでもコンタクト取った方が早いかもとは思うのだけれども、私にとっては一生思い出に残る記念の出来事だった。