そして、運命の2000年4月7日金曜日を迎える。2時間枠の特番だったので、当然他の試合も生中継で放送されたが、飯塚VS村上以外の試合は特にテーマもなく、淡々と進んでいくだけのものだった。そして21時過ぎにメインが始まったが、まあプロレス的な展開を考えたらさすがにここで橋本が勝つだろう、と思うのが普通である。「負けたら引退」と言う煽りまで入れるぐらいだったから尚更の事だ。
正直、私もここで橋本が勝つだろう、とも思っていたが、小川が負けるというのも考えづらかったので、予想は全く出来なかった。そして、結果はご存じのように、大方のプロレス的展開を裏切る橋本のKO負け。橋本がSTOをDDTで返した時などは最高に盛り上がり、ここで行けるのかなと思いきやSTOの連発であっさりと返されるのだから、小川の完璧な強さに舌を巻いたものである。
ソースがあやふやなので確定は出来ないが、私が知る限りの話では当初は橋本が勝つ予定だったという。しかし、世間にプロレスを甘く見られたくない猪木としてはそうはいかせず、このような結末になったらしい。確かに、それは旗揚げ戦でゴッチにフォール負けし、そして第1回IWGP決勝でまさかの失神KO負けを演じた猪木ならではの発想である事はよくわかる。実際、直後の週刊プロレスには「橋本が勝つと八百長だと思われるからこれでよかった」と言うファンの声も掲載されていたと思う。
ただ、まだプロレスの真実を知らなかった私にとって、その結果はただひたすら悔しかったの一言だった。確かに、橋本が負ける事によって、真剣味が出た事も間違いなく、プロレスを色眼鏡で見る一般人に凄さを見せつける事が出来たのも間違いない。ゴールデン生中継だから尚更の事だ。それでも、橋本が負けた事は本当に悔しかった。
当然、気になるのは視聴率であるが、平均で15.7%、瞬間最高で24.1を記録したと新聞で見た記憶がある。橋本VS小川戦に限ればほぼ20以上をキープしていたらしいから、当時のプロレス人気を考えれば驚異的な視聴率と言えた。しかし、逆に言えばそれ以外の試合は世間の興味を引けなかった事とも言える。まあ、正直試合自体もつまらないものが多かったので、やむを得ない部分もあるのであるが、世間には純粋なプロレスを見て魅力に気付いてもらいたい、と言う気持ちが強かったので、この結果は少し残念と言えた。
そして、橋本は引退と言う形となってしまったが、当然そんな訳にはいかず、復帰させるためにテレ朝はまさかの展開を仕掛ける。もちろん、折り鶴兄弟の事である。おそらくググれば出てくるとは思うのだが、当時リングの魂が終了したばかりの南原氏が、テレ朝で割と真面目なスポーツの番組をやっており、その中のいちコーナーにおいて橋本を復帰させるために折り鶴を送る、と言うのがあったのだ。