橋本真也について語る・その14 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

そんな感じで行われた橋本VS武藤だったのだが、実はこの時まで武藤はスランプと言う事で2ヵ月ほど欠場していたのである。なので、当然北朝鮮遠征にも帯同していない。そんな武藤が何故いきなりIWGP王座に挑戦出来るのか、と各所から不満の声が上がっていたものである。

 

正直、これ以降の武藤の爆発ぶりを考えると、盛り上げるための単なるアングルだったのか、と勘繰ってしまう所なのであるが、これに関してはその後はっきりと言及した記憶がないので、今なお真相は良く分かってはいない。そして、久々のひげ面で登場した武藤に、なんと橋本は敗北を喫してしまうのである。ここで、一旦藤波に渡した事はあったものの、1993年9月以来の橋本時代は一旦区切りを迎える事となった。

 

ほぼ記憶のみを頼りに書いているので、この後の展開と言えば、山崎一夫が突如としてUWFインターを離脱し新日本に参戦、馳が自民党推薦で参議院選挙に立候補し見事当選し、プロレスはセミリタイア状態になり、逆に猪木と高田は落選した事などが思い出せる限りの出来事である。

 

この年のG1も、前年同様に両国5連戦で行われたが、2ブロック制かつそれぞれ4人ずつしか参加しないという、第1回以来の厳選メンバーで行われた。三銃士はもちろん、WCWからリック・フレアーまでもがフル参戦するという錚々たる面子の中で、決勝に進出したのは福岡ドームと同様の顔合わせとなった武藤と橋本だった。

 

いずれも勝てば初優勝であったのだが、ここでも新日本は橋本に星を返すなどと言う事はせず、武藤がIWGP王者としては初の優勝に輝き、名実共に武藤時代の到来となる。その中継中、突如として「UWFインターナショナルとの対抗戦が東京ドームで決定」のテロップが流れ、日本中のプロレスファンを震撼させる展開となり、それから10月までプロレス界の話題はそれで占められていく。

 

ここからは語るまでもないが、名実共に新日本の頂点を極めた武藤は、同じく最強として名を馳せていた高田とのシングルがいきなり組まれる。これだけでもドームが埋まるのは当確なので、そのせいかどうかは分からないが、橋本と蝶野の相手はどう考えても格下である中野と宮戸にそれぞれ決まった。

 

宮戸は意見の食い違いで離脱し、そのまま代役が決まらず蝶野の出場はなくなる。橋本は予定通りに中野とセミで対決するが、どう見ても全てにおいて格が違いすぎ、当然番狂わせも起こらず、順当に橋本が勝利した。メインでは武藤が高田を足4の字固めで下し会場は大爆発、結果的に下半期は完全に武藤の時代となり、橋本の活躍はしばらく影をひそめる事となる。