橋本真也について語る・その3 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

その後は夏の第一回目のG1クライマックスまで記憶に残る試合は特になかった。G1は決勝ぐらいしかテレビで見れなかったものの、決勝の前には蝶野との優勝進出決定戦を迎える事となった。もちろん蝶野が勝ったのであるが、STFが決まったとほぼ同時にギブアップしたので、その威力に驚嘆したものである。まあ、実際に物凄く痛いのであるが、UWF以外の純プロレスで「極まったら即決まる」的な固め技を見るのはなかった事だったので、STFの威力をまざまざと見せつけた大会でもあったかと思う。

 

その後、9月の横浜アリーナにて遂に「3度目の正直」でホームに勝利したのだが、この時の秘密兵器として用意していたのがかの「水面蹴り」である。試合が記憶になかった、と言うのはしばらく欠場して中国修行に行っていたからなのであるが、この時の詳細がググってもあまり出てこないので、テレビで見た事以上の事は語れないのである。

 

実はこれは修行と言うよりアングルの一環で、本場の中華料理を食べまくっていたとかの話もあるが、実際の所どの程度修行したのかはよくわからない。しかし、別に中華料理を食べてはいけないというルールもないし、本場の中華と言うのは実に美味しいのも間違いないので、橋本がそれにハマるのは当然だとも言える。

 

まあそういう訳で、その際取得してきたのが水面蹴りと言う訳である。ただ、テレビしか見ておらず、まだ純粋なファンであった自分でさえも、このぐらいなら日本にいても会得出来るのではないか、と思ったのが本音である。そして、試合でも見事にそれを披露し、前述のように三度目の正直でホームに初勝利を果たした。決め技が腕ひしぎだったのも良く覚えている。

 

そして1992年、史上初の1.4東京ドーム大会は20周年を記念して生中継されたのであるが、そのオープニングに映ったのが何を隠そう橋本真也であった。それだけなら聞こえはいいのだが、相手は何の因縁もないビル・カズマイヤーと言う日本では無名に等しい外国人であり、しかもキャリア的にも乏しいために大した試合にならず、この日初めて公開した飛びつき式のジャンピングDDTを極めて勝利した。

 

同期の武藤はムタとして、目玉カードのひとつであるスティングと組んでのスタイナーズ戦と言うWCW直輸入カード、そして蝶野は同じく当時WCW王者であったレックス・ルーガーとのWCW王座戦と、明らかに扱いが違っていたため、橋本の心情は穏やかではなかった事に違いない。