12月1日のアメトークは久々の新日本プロレス特集だった。かなり前にゴールデンタイムでも特集された事があったが、プロレスの部分も割と視聴率が良かったようで、この番組がプロレスに与えた好影響は計り知れない。ただ、それからはプロレス特集をやった記憶はあまりなかったので、前述のように久々と言えたプロレスの特集だった。
今回は新日本プロレス限定だったが、ゲストにひとりも20代の芸人がいなかったように、プロレスファンの高齢化をまず実感してしまった。YouTubeチャンネルの登録者も相変わらず50万人手前で足踏みしているように、新規のファンを取り込む事がまず先決だな、とまず思ったものだ。
そして番組の後半に、プロレス史を語る上で抜きには出来ない橋本小川の因縁の抗争がオンエアーされた。ファンならご存じのよう、小川直也自身が新日本プロレスワールドに自身の試合映像を公開する事を許可していないので、まさか流れるとは思わなかったものである。もちろん、あの1.4の惨劇もダイジェストで紹介された。
その際、鬼越トマホークの坂井氏が涙ながらに橋本と小川のエピソードを語っていたのであるが、私も当時の事を思い出し涙してしまったものである。そしてそのPRIDE男祭り2005での小川の入場は、今でもYouTubeやニコニコ動画でも観る事が出来るのであるが、やはりリアルタイムで見て大変に感動したものである。その際、三宅アナの実況が大きく場違いなレベルのものとなっているので、ここは出来ればプロレス愛に溢れていた森昭一郎アナに実況してもらいたかったものである。それが無理なら副音声で会場音のみでまた見たいものだ。
そういう訳で、今回は橋本真也を語ってみたいと思う。プロフィールや経歴などはWikipediaなどを見ていただくとして、私が初めて橋本真也と言うプロレスラーを認識したのは1990年末頃に再びプロレスを見始めてからのはずである。デビュー自体は1984年9月1日なので、つまりは私がプロレスファンになった瞬間にすでにプロレスラー橋本真也は存在していたという事になる。
しかし、当時のゴング増刊のプロレスオールスターカタログ1985年度版では若手の日本人は除外されていたし、当然テレビマッチに出るはずもないので、当時の私は全くその名を知る事はなかった。
そう言う訳で、私が橋本真也を知ったのは90年になってからの事であるが、私的に新日本のプロレスラーと言えば、相撲上がりの多い全日本と比べてスリム、何よりアントニオ猪木自身がデブを忌み嫌っていたため、まずなんて新日本のプロレスラーらしくない体型をしているのだ、と言うのが何よりの印象だったかと思う。