これまで触れてきたよう、私が一番熱狂していた時代は闘魂三銃士や四天王プロレス、そしてUWF系全盛期であったので、猪木信者と言う訳では全くなかった。むしろ、リング上の主役は彼らなのに、90年代前半ですら一般人の思いつくプロレスラーは相変わらず馬場や猪木であった事に嫌気がさしていたほどである。
しかし、言うまでもなく今では2人の偉大さと言うのは嫌と言うほど認識している。つまり、もちろんテレビが絶対的な主役だった時代背景もあるとは言え、新日本のトップであるオカダや棚橋、そして内藤らを持ってしても、全盛期の馬場と猪木の知名度には逆立ちしてもかなわない、と言う事を今更ながら実感しているからである。
プロレスラーでトップを張る絶対的な条件のひとつが、とにかくカッコいい事だ。それだけを見れば、今の新日本のトップなどは見事にイケメンを揃えており、そうでない連中はとにかくヒールになるしかない、と言う図式が見事に成立している。しかし、プロレスの場合はイケメンだけでは人気が出る事はなく、それプラスアルファの何かが必要なのだ。いわゆる言葉では表現出来ないカリスマ的な魅力であるのだが、その点が全盛期の猪木はあまりにも突出しすぎているのだ。
猪木の全盛期、つまりはワールドプロレスリングが金曜夜8時だった時代は、トップレスラーの姿と言えばアントニオ猪木だった。つまり、猪木の姿そのものが、プロレスにおける普遍的なトップレスラーと世間は認識していた。しかし、その後猪木に代わってトップにならなければならないはずの、藤波、長州、前田、高田らですらスターにはなれても、世間に届くようなスーパースター、ゴールデンタイムを張るスーパースターにはなりえなかった。
もちろん、彼らは何度も大会場でメインを張り、多くのファンを動員はしてきたとは言え、それはあくまでプロレス村の中でのもの。猪木のようにプロレスの枠を超えた大衆的なスーパースターの域に到達する事はかなわなかった。もちろん、それは現在のオカダや内藤らもそうである。しかし、ゴールデンタイムのおかげもあるとは言え、知名度に関して言えば彼らよりも、今この令和の時代となっても藤波や長州の方が一般的知名度は上であろう。
現在のトップですら藤波や長州にはかなわない、つまりは猪木となると雲の上どころか天上界の存在である。だからこそ、今となって猪木の凄さと言うのを嫌と言うほど実感したのだ。