追悼・アントニオ猪木・その18 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

伝説の10.9興行に私は行く事は出来なかったのだが、ご存じのように会場は史上最高の入りを記録した。この時猪木はゲスト解説であったのだが、同じく解説席にいた東スポの柴田氏によると終始不機嫌だったそうである。案の定、試合後に武藤は怒られたそうであるが、正直自分的には猪木抜きでドームが超満員になった事へのジェラシーもあったかと思う。つまり、ここに来て新日本はようやく猪木抜きで大会を成功させる確信を得た訳だ。

 

話は前後するが、この7月に参議院選挙が行われ、猪木も出馬したのだがスキャンダルによるイメージダウンが祟ったか落選してしまった。「さわやか新党」から出馬した高田延彦も同様である。負債を背負ってもまだ高田は現役を続けるという選択肢があったが、猪木はそうは行かないし、ファンとしてはこれからどうするんだろう、と不安に駆られたほどであった。

 

年末には唐突に「突然卍固め」なるイベントが大阪城ホールで開催、高田の無気力ぶりが際立ったタッグマッチがメインとなり、3本勝負ながら猪木人生最後のスリーカウントを山崎一夫から奪われる。この時はむしろ初代タイガーマスク復活の方がニュースとなり、知らない世代である私は週プロの増刊を読んだだけで胸が躍ったものだ。

 

そして1996年1月4日、武藤VS高田の再戦をはじめ、冬木VS安生など案外目玉カードが並んだこの大会、猪木は久々復帰のベイダーと5thマッチを行う。これこそ猪木セミリタイア後の最後の名勝負と言う声が大きい試合であり、当日券で2階から見ていた私もジャーマンを喰らった時は猪木が死んだと思ったものである。今見ても非常に危険な落ち方をしており、その後のハヤブサや、最近の大谷晋二郎の事故を思うとゾッとするものだ。

 

本当にそれこそレフェリーストップがかかってもおかしくないレベルであったが、なんとそのまま試合続行、チョークスラムにボディプレス、そしてここ一番でしか使わないムーンサルトまで喰らうなど、ファンにとっては心臓が止まりそうなほどの展開が続いていった。しかし、最後はカウンターからの腕ひしぎを極めての大逆転勝利、この時の会場の爆発と言ったらありゃせず、今見ても興奮するほどであるが、あいにく著作権をクリアしていない新日本プロレスワールドでは無音となってしまっている。

 

結局、他の試合が全て吹っ飛んでしまうほどこの一戦のインパクトは強すぎであり、今なお語られる試合のひとつである。そんな伝説的な試合を目の当たりに出来たのは幸運だった。