今の新日本のビッグイベントでは、煽りVTRと共に当日のカードが発表されていくのであるが、当時は田中ケロリングアナが試合前にカードを読み上げていくというものだった。その際、本来セミファイナルであるはずの橋本VS蝶野のIWGP戦がメインイベントと紹介され、一瞬会場がざわついたものだが、次の瞬間に「特別試合」として猪木VS天龍が発表された。その理由は試合後に判明する事となる。
そして、その「特別試合」の猪木VS天龍戦であるのだが、長らくプロレスを見ていながらこの時が生まれて初めて生で見る猪木の試合であった。試合展開は、やはり猪木がスリーパーを極めた後は天龍が完全に落ちているように見えたので、一時は会場全体が騒然としたものである。週プロ増刊ではターザン山本がこの試合を執筆していたのだが、前年に行われたUFC1におけるホイス・グレイシーに猪木が興味を抱いたと言い、スリーパーホールドを必殺技として多用しはじめたのもその影響だと言われていた。
そして、日本においてもUFCの2ヶ月前に旗揚げした「パンクラス」においても、チョークスリーパーが解禁されファンに衝撃を与えていた。まあ、パンクラスのスタイルを考えれば、首を極められた時点で相手よりも技術に劣るという意味であるからチョークでも通常でもあまり変わらなかったと言えばそれまでなのであるが、とにかくスリーパーホールドという技が一躍脚光を浴びる形となっていったのは間違いない。
まあ、猪木に関してはご存知のように92年頃から使いはじめていたのであるが、それでもプロレス界ではあくまでじわじわと絞めあげてスタミナ、もしくはギブアップに追い込むというイメージだったスリーパーを、一気に落とすという必殺技として注目を浴びさせたのはプロレスではもちろんアントニオ猪木の功績だ。というより、猪木と言えば卍固めや延髄斬りではなく、スリーパーホールドに完全に置き換わっていったと言っても過言ではなかった。
しかし、当然プロレス、しかもドームのメインとなるとそんな形では終わるはずもなく、天龍の回復を待って再開され、そして最後は天龍のパワーボム1発で決着がついた。いくら天龍のパワーボムが超必殺技とは言っても、さすがに1度は返して盛り上げると思っていたから、まさか1発目で3カウントが入るとは唖然としたものである。当然、猪木が負ける事自体もショックだったが、さすがにすでに50歳、セミリタイヤ状態の猪木と、まだまだ現役バリバリの超トップである天龍に勝つ訳にもいかなかったのだろう。
しかし、試合後は何故かほぼ全選手が集まり、ダーで締めるなど、天龍勝利の空気はどこ吹く風で、猪木ワールドに染められた。それが新日本の興行としての意地だったのだろう。