ネオジオを愛す・その8 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

前回の通り、ネオジオのSS移植版はほぼオリジナルと同等の出来を誇っていたため、余程のマニアでない限りそれで満足していた。さらに、当時はネット対戦がまだなかった事もあるせいか飽きも早く、そのため発売から間も無くして中古市場に多く出回っており、少し経てば格安で買えたものである。そのおかげで、後年かなりのネオジオソフトを買い揃える事が出来た。

 

しかし、あいにくSS市場は98年末でほぼ終末を迎えてしまう。その後はその後継機であるドリームキャストによって移植されていったが、普及率、そしてコントローラーの扱い辛さもあってSSほどの活況を見せる事はなかったように思う。ただ、さすがに12倍速ドライブを搭載していただけあって、ロードの速さは以前とは比較にならず、ROM並の速さでプレイ出来たものである。

 

ただ、完璧な移植がなされたとは言っても、KOF94以前のゲームが後追いで発売される事はまだなかった。そして、言わずもがな私が最もネオジオにハマったのはその世代のゲームである。そんな2001年のある日、当時相模原駅近くに存在していたゲームショップにおいて、ネオジオ本体が6000円ほどで売られているのを発見した。もちろん、速攻で購入した私は、ついにネオジオROMユーザーとなった訳である。

 

そして、ネオジオソフトといえばプレミアが多い事でも知られるが、少なくともその世代の格ゲーは信じられないほどの格安で買う事が出来た。確か餓狼2などは50円程度で買えたかと思う。基板やコントロールボックスまで手を出す事はなかった私は、アーケード版そのままのゲームが家庭でプレイ出来るという事実にいたく感動したものだ。

 

その後、PS2時代になると、1990年代の2Dゲームの移植なら楽勝になっていき、当時のSNKプレイモアもシリーズごとのオムニバスソフトをまとめて発売するようになった。当然、家庭用ならではの設定も豊富であり、もちろんBGMもROMとCD版いずれも収録と、そういう部分では今日のアケアカなどよりも豪華と言えた。大方のファンであれば、このPS2版が発売された時点で満足していった事であろう。

 

その後は各種ハードでネオジオ復刻ものがリリースされていき、今ではアケアカのおかげでさらに優れた完全移植がプレイ出来るようになった。この手にはつきものの遅延という問題があるが、少なくともシューティングの移植物をプレイしてみた限りでは目立つ遅延は感じられないので、ほぼ問題はないと言ったレベルであると思う。ただ、これも実はゲームによってまちまちであり、「パルスター」や「ブレイジングスター」などは大丈夫でも、「ストライカーズ1945Plus」などは若干大きかったりもするので、ネオジオだから一概に、とは言えないようだ。

 

そして、ファコンミニ以来のミニハードブームの流れの中で、ネオジオミニなるものまで発売。もちろんミニ筐体にミニモニター付きという豪華仕様である。もうすでにアケアカで大部分のゲームが遊べる昨今、ここまで買う事はさすがになかったとは言え、それでもある程度の世代にとっては懐かしい事この上ないアイテムだ。

 

正直、日進月歩であったゲーム業界において、「いつまでリリースするんだよ」と思うこともしょっちゅうであったが、それも後半になってくると「ネオジオでここまでやるか」と、かつてのコナミの移植を思わせるほどの感動を味わえたものである。まさか世紀を跨いでまでリリースされるとは思いもよらなかったが、という訳でこのネオジオこそがファミコンをも凌ぐ、家庭用の最長寿ハードとなったのである。