ゲームボーイを愛す・その8 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

そのウィザードリィ外伝も、ゲームボーイではIIIまで制作されたが、さすがに1993年当時ともなると初代ゲームボーイは完全に斜陽であり、私も手を出す事はなかった。翌年、SFCでプレイ出来るスーパーゲームボーイなるものが発売され、私も買ってみたのであるが、ゲームボーイをカラーでプレイ出来るとは言え、当然最大の特徴である携帯性は失われてしまうために私的には何の意味もない代物だった。

 

まあ確かに、初代ゲームボーイでは残像が酷くてまともにプレイ出来なかったアクションやシューティングがプレイしやすくなったのは良かったが、操作性にどうにも違和感、つまりは遅延が発生していたと思われるので、それもプレイしなくなる原因のひとつだった。業界的にもゲームボーイはもはや終わった風潮があったので、と言う訳でこの辺りを最後にゲームボーイの記憶は途絶えている。

 

誰もが終わったかと思われたゲームボーイであるが、1996年2月にまさかの伏兵が現れた。もちろん、かの初代「ポケットモンスター」である。これがゲームボーイ市場を完全に復活させ、ゲームボーイ本体自体もようやく後継機である「ゲームボーイポケット」などが発売されていく。ただ、この時の自分は完全に次世代機しか見えていなかったので、今なおポケモンに関しては触れたこともないのである。

 

そして、ゲームボーイライトを経て、1998年10月には遂にカラーの「ゲームボーイカラー」が発売。翌年、私も紫のものを買ったのであるが、カラー以上に劇的に残像が減った液晶性能の向上に驚いたものである。これを買ったのはゲームボーイ版の「ドラゴンクエストI・II」のためだったのだが、あまりの見やすさにより再び初代からのゲームをプレイしていったものである。特にシューティングがこの上ない事プレイしやすく、ネメシスなどにはいたく感動したものだった。

 

しかし、私自身ゲームに冷めていった事もあって、カラー専用は結局ドラクエだけで終わり、一応当時大ヒットしていた「テリーのワンダーランド」も買ったのだが、途中で挫折してしまった。その後は中古でもソフトを買う事はなく、さらに正当な後継機である「ゲームボーイアドバンス」も買うことはなかったので、ゲームボーイと名が付く本体は結局そのカラーが最後となってしまったのだ。

 

しかし、DSLiteはアドバンスのソフトはまだ対応していたので、それでいくつかのファミコンミニゲームはプレイしたものである。正直、スーパーマリオなどは今更のはずなのだが、驚くべき事になかなか楽しめたものである。それが本当にゲームボーイソフトの最後となり、実際トータルの購入ソフトはかなり少なく終わってしまったのだが、思い入れのあるゲーム自体は多かったため、今なお思い入れのあるハードのひとつである。