ゲームの容量について語る・その2 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

しばらく2Mビットのソフトが主流となっていったが、1988年タイトーの「不動明王伝」で初の3Mビットを搭載した。私は一度もプレイした事ないし、内容自体もまるで知らないのであるが、この「ファミコン初の3M」という売り文句だけで歴史にその名を残す事となった。

 

当時はPCEも発売されていたが、4MビットROMが未開発だったために「R-TYPE」が分割されたのは有名な話であるため、つまりこの時点ではファミコンの方が容量が上だったのだ。任天堂は相変わらずディスク路線だったが、同年の「スーパーマリオブラザーズ3」で遂にROMカセットを解禁、そして任天堂としては初めての3Mビットを採用した。

 

そして、翌年1月に遂に「ドラゴンクエストIV」が発表、同時に4Mビットを搭載する事も公表された。「ドアドアからドラクエIIIまでが全部入る」というのが売り文句であったのだが、当時の容量の小ささを考えればそれも当然である。しかし、ファミコン初の4Mビットはこれではなかった。正確には何か分からず、ググっても出てこなかったのだが、少なくとも「ファミコン初の4MビットRPG」は「がんばれゴエモン外伝 消えた黄金キセル」であった。

 

確か6980円という、当時としては割と安い価格で販売されたのだが、ドラクエIVの8500円と比較して、当時のファミマガに「なんで同じ容量なのにこんなに価格が違うの?」という意見が投票されたものである。低年齢層向けだから仕方ないとは言え、ゲームの価格が全て容量で決まる訳がないので、極めてナンセンスな意見なんだ、と当時の私でも呆れたものだ。もちろん、コナミはファミコン時代は全て自社生産だったので、ギリギリまでコストを抑える事が出来た。さらに、余談であるが当時のコナミは拡張音源全盛の頃である。同時期の「悪魔城伝説」などは今聞いても必聴に値するものだ。

 

以降、私の記憶にある限りでは「ファイナルファンタジーIII」、「女神転生II」、「三國志II」などが4Mだった。特に、光栄のソフトはただでさえ高かったのに、三國志IIなどはそれで4Mビットを積んだのだから、なんとファミコン本体と同じ14800円で発売された。1990年における14800円なのだから、今の感覚で言えば2万円超えに近い。世の中のものはどんどん高くなるのが普通なのだから、そう思うと今のソフトの価格はなんと割安な事かと思ってしまう。