言語的アイデンティティの維持 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

TOEICテストの前というのは、家に引きこもって誰とも会話せずに半ば強制的に英語環境を作り上げるのであるが、これがなかなか効果的であり、日本に居ながらにしてもそれなりに日本語から離れる事が出来る。そうなるとどうなるかと言うと、いざ日本語のページを開いた時に違和感を感じるようになるのだ。

 

つまり、自分はネイティブの日本人でありながらも、日本語に対して一種の違和感、もっと言ってしまうと拒絶感みたいなものを感じてしまう事になる。いわば、「自分はれっきとした日本人であるはずなのに、なんで日本語を見るのも嫌になってしまうのだろう」という言わば自我のアイデンティティが保てなくなる感覚を得てしまうのだ。

 

いざテストが終わり、当然嫌でも日本人、日本語と触れざるを得なくなる訳であり、その瞬間現実世界に引き戻されてしまう。感覚的に言えば、英語の看板が当たり前だったフィリピン留学から、日本に帰国した直後のような感覚だ。もちろん、最初は違和感があっても、すぐに元の日本人としての感覚に戻ってはしまうのであるが、日本で数日世間と隔離生活を送っただけでもそんな感覚に陥ってしまうのだから、海外で生まれ育った帰国子女が日本に馴染めない、というのもそれは当然と言える。

 

著名な日本人ルチャドールであるウルティモ・ドラゴンなどは、少なくともレスラーになってからは日本よりも遥かに外国生活の方が長いであろう。なので、拠点としていたメキシコにおいて、当然メインとなる言語はスパニッシュである。観光業界に関わる仕事にさえつかなければ、海外で日本語を使う機会などは極めて少ない。という訳で、どこかの記事において、「意識的に日本語を使うようにしない限り、日本語を忘れてしまう」と本人が語っているのを見た。

 

外国語を勉強する者にとって、なんだかそれは羨ましいとも思えてしまう話であるかも知れないが、先述のような私の体験からしても、やはり彼も日本人でありながら日本語が話せなくなる、というジレンマに陥った事がある事は想像にかたくない。私が完全に日本語から離れたのは、せいぜい香港滞在時の1週間程度ぐらいなのであるが、その短い期間ですら英語で生活するのが当たり前な感覚になったのだから、数十年日本語から離れた生活などはなかなか想像出来ないものだ。