その昔、くりいむしちゅーのANNで昭和プロレス談義が行われた時、片割れの上田氏が「生きている日本人で一番の天才って誰だと思う?俺は真っ先に佐山聡って答えるんだよね。」と語っていたが、少なくとも自分ももし同じ質問を聞かれたとしたら、ビートたけしやイチローと並び、真っ先に上がる名前のひとりが佐山聡である事は間違いない。
自分がプロレスを初めて見た時にはすでに初代タイガーマスクとしての活動は終えていたが、旧UWFで復帰は果たしていたので、その名前はその頃から知っていた。しかし、今みたいにYouTubeで簡単に見られるような時代ではないし、また旧UWFはテレビ放送がなくビデオも見ることはなかったので、映像ですら動いている姿を見る機会はなかった。
その後、自分がプロレスにハマっていた頃には、すでに佐山聡はプロレス界とは大きく距離を開いていたので、個人的には「プロレス界に身を置いて大ブームを巻き起こした人ではあるけども、今は遠い世界にいる人」という認識しかなかった。プロレスファンはとにかくプロレスを否定する人は完全に拒絶してしまうので、それもごく普通の反応だと思う。
しかし、1992年に大人の事情で発売される事がなかった初代タイガーマスクのビデオが、「猛虎伝説」の名で遂に解禁。言うまでもなくプロレスビデオの中では大ベストセラーとなり、私が学校の帰りに通っていたレンタルビデオ屋では常に貸し出し中、借りるまでに数ヶ月ぐらいかかったのを覚えている。つまり、それが私にとっての初代タイガーマスク初体験と言う事だが、すでに目が肥えていた90年代プロレスファンの自分でもとにかく凄い、凄い、それしかない。
四天王プロレス前夜のこの時代、まだ目を見開くほど凄い技と言えば、せいぜいフランケンシュタイナーぐらいのものであったとは言え、それでも少なくとも私が初めてみた80年代半ばよりも技は高度化していたのも確か。それでありながら、初代タイガーマスクの動きと技は、かつて私がまるで見た事のない次元のものであり、とにかく呆然としつつビデオを見ていたものだった。
今の時代でなら、技自体は飯伏幸太らがそれらを凌ぐ技を展開しているが、それでも初代タイガーマスクの衝撃には及ばない。映像を見れば一目瞭然であるが、動きの滑らかさ、キレが明らかに常人のそれとは違うのだ。しいて言うならば、周りは30FPSなのに、佐山聡だけが同じ映像の上で60FPSで動いているようなものだ。今ですらそうなのだから、80年代の観客にとっては、それはまさに、白黒テレビの時代に突然フルHDの映像が現れたぐらいの衝撃だったのではないだろうか。
以上のように、90年代前半のファンにとっては「遠い人」だったはずの人に、突然親近感を覚えていくようになる。そして、1993年、遂にあの第1回UFCが開催されると、日本における総合格闘技の走り、修斗と、そしてその創始者としての佐山聡に再度脚光が浴びせられるようになるのだ。翌年、遂に11年ぶりに新日本マットに登場するも、そのスタイルと発言で再度物議を醸すが、翌年の猪木フェスティバルにおいて小林邦昭とラウンド制ながら、初代タイガーマスクとして遂に復活。その後は格闘技を志す気持ちに変化こそないものの、新日本のマットにも度々登場と、ついに我々にもその伝説のファイトを目の当たりにする事が出来たのだ。
よって、80年代に比べたら一気に当時のプロレスファンにも、その名と存在感がしっかり刻まれた感じではあったのだが、本人の口から過去が語られる事はほぼ皆無だったため、旧UWF時代はもちろん、シューティング普及の裏にあった出来事なども、一般のファンにとってその多くは謎に包まれたままだった。それが今回の「真説」でようやく公に語られる、と言う事で、少々高いながらもアマゾンで購入し、一気に読破する事に至った。
元々格闘技志向が強く、猪木に「お前を新日本の格闘技要員の第1号にしてやる」と言うのもおおよそこれまで語られてきた通り。遠征時代の話も、それほど多くは割かれていなかったので、やはりこの本のメインは旧UWFを離れたシューティングの時代。そして最も印象に残ったのは、佐山聡本人ではなく、周りの選手たちの思考回路だ。
前述のように、シューティングが注目を浴びてきたのは、94年7月にヒクソン・グレイシーを招聘した頃だったと思う。それまではおおよそマニアしか見ていなかったと思うが、この大会はプロレス雑誌でも紹介されたし、有名プロレスラー自体は出場しなかったとは言え、プロレスファンにシューティングが認知された最初の大会であったのは間違いない。
年末、交渉に来た安生洋二をボコボコにした事でさらに日本で名を上げたヒクソンは、翌年4月の大会にも参戦。この時は一回戦でリングスの山本、そしてセコンドに前田日明が来ると言う事で前回以上の注目を浴びたが、危なげない試合運びで圧勝、トーナメントも危なげなく制すと再びその実力を日本のファンに知らしめる事となった。
翌年からはフジテレビが深夜ながらSRSと言う格闘技番組を放送開始、10月にはとうとうK-1がゴールデンタイムに進出するなど、いよいよ後年の格闘技ブームに繋がる動きが出てきた頃であり、さすがにゴールデンは無理でも、SRSでは修斗の選手や大会を度々報道、ライバルであるテレ朝の「リングの魂」もその流れに傾いていくなど、長年日陰の存在であったシューティングに遂に光が当たり始めた瞬間だった。
ここから本題なのだが、これだけフォーカスされていたら、それはそれはどこの大会も活況だったのだろう、と当時の私は信じ込んでいた。しかし、この本は真実を語る。例のヒクソンVS山本の日も、あれだけ注目を浴びておきながら実は武道館の上の方はガラガラだったとか、何より衝撃だったのが、ある大会の直後における後楽園ホールの前売りが77か78枚だったとか。
かのカート・アングルも語っていたが、そう言う時に選手から決まって出る発言が「なぜ真剣勝負の俺たちが受け入れられずに、そうではないプロレスばかり注目を浴びて客が入るんだ」と言うものだ。正直、自分も格闘技にハマっていた経験があるだけにそう言う発言は理解出来なくもないのだが、今の自分からしたら所詮世間を知らない人間の発言に過ぎない。単純に言えばプロレスの方が面白いから客が見に来るのであって、そうでない無名選手によるガチの興行など誰が見に行きますか、と言う話なだけだ。
プロレスというのは、何故かまともに見た事もない人からも暴言を吐かれる稀有なジャンルであるが、正直、いくら頭が悪くとも、何故そのような興行形態になったかぐらいは考えて見てほしい。プロレスの起源はもちろんレスリングであるが、打撃オンリーであるボクシングと比較して、まともにやってもそれは地味でどうしようもなく、とてもプロの興行としてやっていけるものではなかった。そこで、プロモーターたちがどうやったら客を呼べるのかあれこれ試行錯誤した結果、今のようなプロレスが生まれたのではないか。ミスター高橋も「アマチュアの柔道やレスリングの大会は面白いものと言えるだろうか?オリンピックで熱狂する、というのは例外で、では普段の大会には誰が見に行きますか、という話だ」と、例の著書で語っていたが、それはまさにその通り、アマチュアの大会なんて家族やその関係者が大半を占める。オリンピック効果などはあっても、世間はそんなのはすぐに忘れてしまう。今、冬季五輪の話題をするだろうか?何人のメダリストを覚えているだろうか?
今夏、日本武道館3連戦と、横浜大会のG1クライマックスを観戦したが、武道館初日こそ6180人だったとは言え、それ以外は全てソールドアウトの超満員だった。特に武道館の超満員は壮観であり、暗黒時代を知る私としてはそれだけでも感慨深いものがあった。それと同時に、都内でも最も満員にしづらい会場であるこの武道館を、果たしてプロレス以外、新日本以外の格闘技団体が満員にする事が出来るだろうか?いや、おそらく無理だろう。何故新日本が出来て他は出来ないのか、理由は単純、新日本プロレスの方が他よりも圧倒的に魅力があって面白く、常に我々を熱狂させ、そして感動させて帰路につかせてもらうからだ。
結局、「真説」を読んでも、結論はそこに至ってしまったのだが、当の佐山聡本人が金策に苦労していた事、そして創始者でありながら修斗を離れる羽目になってしまった事からも、私的には船木誠勝らと同様、「格闘技は金にならない。かつてのPRIDEや今のUFCなどの例外はあれど、やはり客を呼んで興行を成立させ、会社を維持させるには、来てくれたお客を楽しませる事を大前提としたプロレスなんだな」と結果論とは言え、身体を張ってまでそれを体現した人、とそれがこの本を読み終えた上で私が感じた事でした。