おはよございます。0815 介護法と言う法律は、いわゆる宗教している人の人権は
理解できていない。報恩講・ミサ、こう言う、それぞれの宗教人・参加者の義務が
果たせない。月単位30時間(外来付き添い含む)では、二ヶ月に一度、医者・二ヶ月に
一度の初金・二ヶ月に一度のミサ。
所属教会の司祭、ばかたりん。週ミサに出ない者は信徒ではないわい、なんて、呟くな。
★ 教職者の諸君、いいかい、親愛なる野村司教さまが、司祭に全面的に従えとおっしゃる
意味を取り違えていないか? 俺たち信徒は、同時に信徒使徒職なの。
理解できていない。報恩講・ミサ、こう言う、それぞれの宗教人・参加者の義務が
果たせない。月単位30時間(外来付き添い含む)では、二ヶ月に一度、医者・二ヶ月に
一度の初金・二ヶ月に一度のミサ。
所属教会の司祭、ばかたりん。週ミサに出ない者は信徒ではないわい、なんて、呟くな。
★ 教職者の諸君、いいかい、親愛なる野村司教さまが、司祭に全面的に従えとおっしゃる
意味を取り違えていないか? 俺たち信徒は、同時に信徒使徒職なの。
★何が伝えたいの?
???? なぜでしょう?????
日本語正規文法であれば、
1. 何が伝わりたいの???
2. 何を伝えたいの・・・
のはずです。神の言葉は、人間であるならば、例外なく、誰でも・伝えてよいのです。
???? なぜでしょう?????
日本語正規文法であれば、
1. 何が伝わりたいの???
2. 何を伝えたいの・・・
のはずです。神の言葉は、人間であるならば、例外なく、誰でも・伝えてよいのです。
まず、聖書から。初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。・・・・・ ヨハネ1章1-5節。これは、言語・人類・生成説であって、カトリックだけでなく、まずは98パーセントのキリスト教・各教派の宣言であることは、信じるに値すると思います。この宣言を伝えるのではなく、まず、ここの説を共通項として、読者と私論を戦わせることをしたいと思いまして、書き記しました。生活の中では、労働・言語起源説でも良いと思います。そうでなければ、地球に280以上の言語があることを説明し切れませんもの。ここは私は信心として、言語・人類・生成説を取ります。私の主題は、聖人論です。次回の聖人は五月13日・聖マリア・マザレロです。聖人とはいかなる者なりや。教皇から一般市民まで、平等に、福音を言葉で宣言した人々の中で、バチカンがこれだと感じた使徒職を表彰することによって、次の時代の信徒として模範にすること。その意味で、聖人として登録されておられる人・彼らは立派でも身分が上でも、雲の上の人々でもない。ここを理解しましょう。神様のように崇めているカトリック信者さんへ。サタンにやられますよ。しっかりしましょう。
さて、旧・新約聖書において、聖書記者が執筆した聖人もいるし、ユダヤ教ナザレ派のテリトリーで聖人とされた方、初期カトリックの聖人。また、東方教会が分裂した後、などなど、歴史の中でさまざまな方々が聖人として記録されておられます。
そして、ローマカトリックと聖公会は、聖人の名を、自分のファーストネームとして頂くことが奨励されています。私は、すちーぶ。使徒7章54-60節、ですよ、ね。単なる霊名だと言えば、正しい。日本カトリックの信徒は特別な思いを感じているのだけれど、旧主国・各国だとか、スペイン・ポルトガル→南米系ラテン諸国においては、私論ではありますが、単なる・人の区別名となるようです、ね。西洋式の書き方だと、私は、stephano-kunio-Cato と、綴ります。 霊名の所を、武家名とすれば、出自がばれてしまいますけれども???
★何が伝えたいの? 単なるファーストネームとして、意識したことはほとんどないのですが、聖書(と聖伝)、とイエス様の群れである。ここの所は、ヨハネ書の初期クリスチャンから、現代まで、普遍なのです。しかし、もって、日本とか南米なんかでは、迫害された聖人の名をもらうことが多く、パウロ・すちーぶ・犬の糞??? と称されるほど、同じ霊名の人は多いです。テレジアさんだとか、ミカエルさんだとか。マグダレナさんも多いな。エリザベス??? 男性名より、女性名の方が、複雑です。大抵の霊名は、その由来を見つけることが出来ます。で、親しい友人になれば、クリスチャンネームの略名で呼び合っています、ね。私へも、「すちーぶ」と呼び捨てにしてください、ね。
日本民族の諸君の、面白い点があります。言語・人類・生成説であるならば、ペンネームとしては、この手の名称を気楽には、使ってほしくないんです。セント・ポーリアと言う観葉植物があります、ね。しかも、その鉢植えに、ご丁寧に、木の十字架まで立てて、飾ってある喫茶店を見つけました。「ほう、聖書の聖パウロですね。」と言ったら、そこのママさんから、出てけと言われました。日本の仏教系新興宗教の拠点だったのです。
amebaの読者さんも、twitterの執筆者さんも、気楽に、おかしな、ペンネームを使い過ぎると、私は思っています。喫茶店の例だと国内なので、そんなに実害はありませんん。
日本人は意外に気付いていないのですが、日本語も、英語をはじめとする地球語の、使用している人民の数、上から10位以内にあって、これを母国語としている人民数、凡そ1億8000万人。日本以外の土地で、聖人名をペンネームにしている場合、大抵は霊名です。クリスチャン人口の多い国だと誤解されますよ。話が狂うだけならばそれも可。けど、同じ言語を使っている日本人から叱られたら、どういうことになるのかしら。ま、あたしら日本在住の日本人クリスチャン、プロテスタントの仲間たちで、64万人、カトリック教団ともなると、43万人。村八分状態です。
ミッション活動しても、日本は文化が高い国なので、その方法では信徒は、絶対に増えないと思います。そうではなくて、神の言葉を共有して、愛の実践を提供する。この仕事においては、信徒の数が、絶対的に徹底的に足りません。その目的の為にこそ、信徒を増やさなければならないと思います。一見・プロテスタントの大部分の教団さんのミッションと違いはないと感じられる、向きもあるかと、思います。けれど、詳細に見つめてみれば、この矛盾差は大きいです。
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。これを伝えるために努力されたのが、聖人であり、その名を押しいただいているのが、私たち・クリスチャンの霊名です。いつもは、私も、自覚してないです。単なる、犬・糞 名前です。でも、そこには、ユダヤ教の歴史も含めて、3500年と言う、神様の「時間」が、凝縮しているのです。
さて、旧・新約聖書において、聖書記者が執筆した聖人もいるし、ユダヤ教ナザレ派のテリトリーで聖人とされた方、初期カトリックの聖人。また、東方教会が分裂した後、などなど、歴史の中でさまざまな方々が聖人として記録されておられます。
そして、ローマカトリックと聖公会は、聖人の名を、自分のファーストネームとして頂くことが奨励されています。私は、すちーぶ。使徒7章54-60節、ですよ、ね。単なる霊名だと言えば、正しい。日本カトリックの信徒は特別な思いを感じているのだけれど、旧主国・各国だとか、スペイン・ポルトガル→南米系ラテン諸国においては、私論ではありますが、単なる・人の区別名となるようです、ね。西洋式の書き方だと、私は、stephano-kunio-Cato と、綴ります。 霊名の所を、武家名とすれば、出自がばれてしまいますけれども???
★何が伝えたいの? 単なるファーストネームとして、意識したことはほとんどないのですが、聖書(と聖伝)、とイエス様の群れである。ここの所は、ヨハネ書の初期クリスチャンから、現代まで、普遍なのです。しかし、もって、日本とか南米なんかでは、迫害された聖人の名をもらうことが多く、パウロ・すちーぶ・犬の糞??? と称されるほど、同じ霊名の人は多いです。テレジアさんだとか、ミカエルさんだとか。マグダレナさんも多いな。エリザベス??? 男性名より、女性名の方が、複雑です。大抵の霊名は、その由来を見つけることが出来ます。で、親しい友人になれば、クリスチャンネームの略名で呼び合っています、ね。私へも、「すちーぶ」と呼び捨てにしてください、ね。
日本民族の諸君の、面白い点があります。言語・人類・生成説であるならば、ペンネームとしては、この手の名称を気楽には、使ってほしくないんです。セント・ポーリアと言う観葉植物があります、ね。しかも、その鉢植えに、ご丁寧に、木の十字架まで立てて、飾ってある喫茶店を見つけました。「ほう、聖書の聖パウロですね。」と言ったら、そこのママさんから、出てけと言われました。日本の仏教系新興宗教の拠点だったのです。
amebaの読者さんも、twitterの執筆者さんも、気楽に、おかしな、ペンネームを使い過ぎると、私は思っています。喫茶店の例だと国内なので、そんなに実害はありませんん。
日本人は意外に気付いていないのですが、日本語も、英語をはじめとする地球語の、使用している人民の数、上から10位以内にあって、これを母国語としている人民数、凡そ1億8000万人。日本以外の土地で、聖人名をペンネームにしている場合、大抵は霊名です。クリスチャン人口の多い国だと誤解されますよ。話が狂うだけならばそれも可。けど、同じ言語を使っている日本人から叱られたら、どういうことになるのかしら。ま、あたしら日本在住の日本人クリスチャン、プロテスタントの仲間たちで、64万人、カトリック教団ともなると、43万人。村八分状態です。
ミッション活動しても、日本は文化が高い国なので、その方法では信徒は、絶対に増えないと思います。そうではなくて、神の言葉を共有して、愛の実践を提供する。この仕事においては、信徒の数が、絶対的に徹底的に足りません。その目的の為にこそ、信徒を増やさなければならないと思います。一見・プロテスタントの大部分の教団さんのミッションと違いはないと感じられる、向きもあるかと、思います。けれど、詳細に見つめてみれば、この矛盾差は大きいです。
初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。これを伝えるために努力されたのが、聖人であり、その名を押しいただいているのが、私たち・クリスチャンの霊名です。いつもは、私も、自覚してないです。単なる、犬・糞 名前です。でも、そこには、ユダヤ教の歴史も含めて、3500年と言う、神様の「時間」が、凝縮しているのです。