なぜ 私  音楽・伝道氏  しか 出来ないのだろう。

師  では なく  氏  だよ。
神様が私に 期待したいことは 分かるけどよ。

わし  ちょいと 躓く

★  Gucci 兄貴 から 学んだ ことは
体力的に、
辛くなれば 休む こと。
一月31日 聖ヨハネ・ボスコ司祭
記念    1815-1888

へーーー、以外と新しい人、なんだ。
物語を始める前に。 世の中、まだまだ、見捨てたわけもない。
かごめ食堂と言う映画(まだ見てない)の主題歌の、ほろ苦さだとか。ありますよ。
私は、あああ??? 根っからの音楽伝道のカリスマだな。
苦笑い。

加藤登紀子さんの支援で、アフガニスタンでは、井戸堀りと水路作りが
続いているとのこと。強盗にて、日本人支援者が殺されたが、
援助は止まらない。 帰天。宗教はプロテスタントだって。
イスラムの国ですら、彼を慕って、貧しいが、
盛大なお葬式で、殺された支援者を称えた。現代・聖人の資格あり・と思うな。

さて、
ドン・ボスコ 現代・出版社の名称でもある。この男・北イタリアの農家・出身。
子沢山・五番目の息子。父親は早くに帰天。母親は文盲。 けれども、主にあって、
子供たちを育てたと言う。皆から慕われ、七歳の頃には、地区の子供たちに教理を語れた。
九歳の頃には、すでに司祭になりたいという希望を持ち、農家の手間仕事や
大工の見習い・仕立て屋・靴屋 などでアルバイトをした。
その間、孤児・救済と教育なども実行。手品やアクロバット、子供らしい発案で
勉強を受ける側の子供たちの評判、すこぶる・よろしい。

16歳の時、神学校に入学。母親は結婚指輪を売り、学費の足しとした。
けれども、月謝は払えず、学生服も貸与で凌がなくてはならなかった・と言う。
26歳にはめでたく、叙階された。当時のご時世で、外国伝道に憧れた。
しかし、ヨセフ・ガファッツァ神父に止められた。どうも、宣教師のカリスマは
持っていないようなのだ。根っからの教育系神父さんのようである。

女子宣教の場所を借りて、貧しい子供たちや非行少年らを教育する。
が、人数が増えて騒がしくなったので追い出された。日曜学校では
不備なのである。しかたがなく、日曜の集まりを広場や墓地で行ったが、
人数の問題から、そのような場所からも追い出されれた。初の挫折である。

しかし、希望も訪れ始めた。ある篤資家が、わずかな土地と聖堂に使う納屋を
寄進。納屋と言っても、物置で天井は低い。地面を掘って、嵩上げする。
そこを寄宿舎として教育場所とするには、不十分。住む家のない・子は推定で、
最低限でも150人は存在する。歳老いたママ・マルガリータを呼び寄せて、
二人で教育事業に船出したのである。1年もすると、700人を超したと
言われている。

彼は聖フランシスコ・サレジオの教育方針に憧れていた。サレジオが語った
有名な「ざれ言」を常に語り、ユーモアを忘れなかった。彼のモットーは
赦しの秘蹟を度々受けなさいということのようである。子供の側に立つと
心が分かる様になるとも語っている。

地味な教育運動のようであるが、支持者は次第に増えて言った。また、
教育論文も書いた。ただ、こちらは、文盲だった母親の気持ちに立ち、
出来るだけ優しい文体を心がけたと言う。彼の仕事を継承する中で、
男子・女子 両・修道会が生まれた。現在・男子会員は2万1千人。
施設数は5462箇所。 また、女子部では、1万7千人のシスターと
2324の教育系施設を持っている。 教育論文の数は153冊との事。

晩年、寄付金のほとんどを子供たちの仕事に使い、本人の衣服生活は
さんざん。けれども、みすぼらしい服で満足していた。医師から仕事を休めと
命じられても、無視する始末である。帰天。

彼が天国に行った後も、どこからともなく、お金が入ったと言うことだ。

★ 日本に大きな位置関係で鎮座している、ドン・ボスコ 出版社は
ここの施設の一つである。



地球の空に朝が来る
その裏側は夜だろう♪ ♪


屋根の上のバイオリン弾き ♪ ♪

ざれ歌も、オペレッタも 主題はそんなに、
変わらない。

おはよう 31日
http://www.sorakazeamy.blogspot.com/

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domingo, 24 de janeiro de 2010
De volta

Caramba, fiquei uma semana fora e parece que fiquei meses sem vir aqui! Eu tinha prometido aos meus avós que passaria uma semana com eles. Mas lá não tem internet, então não deu pra fazer nada. Estou aproveitando eles porque se não aproveitar agora vou me arrepender depois. Eles já estão velhinhos e eu não vou arriscar o tempo de vida deles. Tantos posts pra ler e comentar... ♥ Alguns voltando de viagem, com muita história pra contar... Outros indo viajar. Como meu pai. Foi hoje pra Porto Seguro - BA com meus 3 irmãos mais novos, e eu e meu irmão mais velho ficamos pra trás. iOi Dia 2 já começam minhas aulas e eu não comprei meu material ainda. Minha mãe não está nem um pouco preocupada (ela também está de férias). E como ela e meu pai são divorciados, eu fico perdidinha \o/ É uma briga pra ver quem vai pagar o material escolar lálala.... u3u Espero que todos tenham se divertido e aproveitado bastante as viagens.
Fico contente em estar de volta, e me desculpem pelo enorme espaço de tempo entre os posts.

日本語も満足に出来ない、伝道担当者が、Caramba の言語 
分かるはず ないよ。鼻下・伸ばし  以前の問題だよ、。

いちお アリストテレス も 入れておく、ね。
この論文のすべては、
wikipedia  の 引用 です。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%B9

アリストテレスまたはアリストテレース(古代ギリシア語: Ἀριστοτέλης、前384年 - 前322年3月7日)は、
古代ギリシアの哲学者。英語風に発音したアリストートル (Aristotle) も日本で時折使用される。



後世への影響力 [編集]
アリストテレスは後世「万学の祖」と称されるように、彼のもたらした知識体系は網羅的であり、
当時としては完成度が高く偉大なものであった。彼の多岐にわたる学説は、
13世紀のトマス・アクィナスによる神学への導入を経て、中世ヨーロッパの
学者たちから支持されることになる。しかし、アリストテレスの諸説の
妥当な部分だけでなく、混入した誤謬までもが無批判に支持されることになった。

例えば、現代の物理学、生物学にかかわる説では、デモクリトスの
「原子論」「脳が知的活動の中心」説に対する、アリストテレスの
「4元素論」「脳は血液を冷やす機関」説なども信奉されつづけることになり、
長らくこの学説に異論を唱える者は出てこなかった。

さらに、ガリレオ・ガリレイは太陽中心説(地動説)をめぐって生涯アリストテレス学派と対立し、
結果として裁判にまで巻き込まれることになった。当時のアリストテレス学派は
望遠鏡を「アリストテレスを侮辱する悪魔の道具」とみなし覗くことすら拒んだとも
言われる。古代ギリシャにおいて大いに科学を進歩させたアリストテレスの説が、
後の時代には逆にそれを遅らせてしまったという皮肉な事態を招いたことになる。

ただ、その後の諸学問の発展におけるアリストテレスの貢献も忘れてはならない。
たとえばエドムント・フッサールの師であった哲学者フランツ・ブレンターノは志向性という
概念は自分の発見ではなく、アリストテレスやスコラ哲学がすでに知っていたもので
あることを強調している[1]。
一月28日 聖トマス・アクィナス教会博士
記念  1225頃-1274

この方、カトリックだけでなく、すべてのキリスト教で知られている
学者。凡夫の酒飲み・の 私では荷が重い。 でも、抜く訳にも
行かず。13世紀と言えば、十字軍が敗北して200年ぐらいか?
初期封建主義が発生。軍人が貴族となった頃。南イタリアの貴族
の出自と言うのだから、城は持っているだろうし、権力もあっただろう。

彼は少年時代から、黙想が好きで、内向的ですらあった。しかし、
神様に対する目線は確かだ。ドミニコ修道会が発足すると、早速入会
した。母や兄弟らは、猛反対。当然だ・兄弟のうち、誰かが王子となり、
城を継ぐ、義務がある。

修道士である。学問をしなけばならない。身を隠さなければ
ならない。パリに出奔した、が、見つかって、城に監禁されてしまった。
一年間、家族はあらゆる方法で決心を翻そうとしたと言う。
ある時はあえて、監禁されている部屋に商売女を振舞った。
彼は暖炉の薪を振りかざし、女を追い出した。これは有名な
実話? 姉妹たちも条理を尽くして説得した。が・逆に感化され、
ある姉妹は、修道女の道を進んだのである。

さて、聖パウロがローマの城で監禁された時、食べ物の籠に隠れて
城を抜け出したというのは有名な聖書箇所。まるで、それに
肖ったのかどうか? は分からないが、姉妹たちの手によって、
城から、脱藩に成功した。

パリのドミニコ会で勉学。ついでケルン大学で哲学を履修した。
ただ、余りにも内気な性格が災いし、出来の悪い学生と評される。
あだ名は「馬鹿牛」。 ところが、たまたま、ノートを紛失。
アルベルト教授は、それを拾った。ノートを読む。びっくりした・
くだんの教授、アクィナスを試験して見た。知識量とその理解度に
驚き、他の学生に曰く、「おまえたちは、この男を馬鹿牛と言うが、
いつか、馬鹿牛の声が世界に轟くだろう」と、言い当てたのである。

カトリックは思想的に問題を抱えていた。近代の哲学の父と称される
アリストテレス。この大流行を迎える。その為、カトリック神学は
分裂を引き起こした。真っ向からキリスト教に反する思想として
焚書にする学者も現れる・始末。
けれども、トマスは、アリストテレスの哲学を分析。間違いを正し、
彼の偉業も認め、キリスト教の教えとしては申し分ない、
書物を完成してのけた。今も神学書として続いている
「神学大全」「対・異教徒大全」の二冊。

そのほかに、執筆した神学書は、かなりの量に上ると言う。
この実績に目を留めたカトリックは、当時の公会議に招いた。
しかし、その時、すでに遅し。病いの為、出席できず。
香部屋係りに、旧約聖書・雅歌を読んでくれるよう
頼んだと、言われている。

彼は、文章の才能だけに留まらず、詩にも造詣が深い。
タントム・エルゴ、オ・サレタリス、バーニス・アンジェリクス、
など、現代のカトリックでも歌い継がれている賛美歌の
数々は、トマスの作である。

これで、追いついた。ふーーーー。
明日は、ドン・ボスコ 出版修道会 の創始者。

一月27日 聖アンジェラ・メリチ
任意 1474頃-1540

この記事は、観想修道会活動から、一般女子に対する
教育修道会活動に、歴史が動いている頃の情報。
この女性は、北イタリアの自作農・出身。裕福だが、普通の
農民。こう言うこと。ただ、幼い娘の ***ごっこと言う点で
特徴があった。 聖人伝が好きで、イタリアでは有名な
スイスの隠遁者 ニコラス・フォン・フリュエの真似をして
遊んでいたと言う。隠遁者になろうとして家出。さすがに
その時は一日で連れ戻された。

10歳の時、両親が亡くなり、13歳の時には愛する姉も
亡くした。ここから、事態が急変する。 聖フランシスコの
第三会への入会を勧められたのである。第三会を持っている
修道会。これは、普通に仕事をしながら、内面的には修道して
行くスタイル。アンジェラは農産物を中継する仕事をしながら、
20年間、霊的な生活をした。

小作の子供たちの、教育に胸を痛め、第三会に所属する
娘たちを集め、教育について相談したことも度々である。

彼女は農村伝道から都会に派遣された。封建時代初期の
戦さが続いて来たから。戦争の付属物として襲撃・略奪 などが
多発していた。彼女は、その教養さを用いて、戦争状態の
軍人貴族を和解させて行った。

ところで、彼女の、カリスマは何だろう。時代が要求している事業とは。
56歳の時、神から、示されたものは???
一般婦女のために、彼女たちを教育する機関である。
アンジェラは、聖人の保護者を、聖ヒエロニモを指導した聖パウラと言う
ローマ婦人、中世期・ドイツの聖ウルスラとした。故に、
「ウルスラ修道会」と言う。謙遜で動いた。この事が、死後・
修道会として、結実する。

そして、女性の活動修道会としては、世界初となる、のでありました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC

坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日(1836年1月3日) - 慶応3年11月15日
(1867年12月10日)は、日本の武士(土佐藩郷士)、明治維新に影響を与えた政治家、
グラバー商会(ジャーディン・マセソンの日本代理販売店)代理人として武器輸入に関わった実業家。

土佐藩脱藩後、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)の結成、
薩長連合の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど、志士として活動した。
贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』の
主人公とされて以来、国民的人気を誇っている。また、その事跡についてはさまざまな論議がある。

★ 俺は、複眼屋。 朝日新聞がやっている、部落開放・情報と
同じ土俵に、乗せてみたい。

明治革命は、武士階級が温存された、市民(大・中 資本家)革命である。
これ、それはそうなのだけど、実際は、どうなんだろう。
武家はそれぞれの身分でシキタリを持ち、シキタリを重んじさせる事によって、
武士としての権利を制限する。また、武家は軍人として君臨していたが、
実は、藩民に対する行政・公務員としての働きしか、有り得ない。
藩によって、シキタリはすべて違うが、この手の本質は変わらない。

さて、竜馬は武士ではあるが、厳密には武士階級ではなく、
郷士と言う。なぜそう言う、正規身分ではない制度が作られたのか。
ペリーの黒船・以来 各・藩は行政・公務員だけでは、軍人が
足らない状況を生んだ。八王子同心 などでは、昔から、
江戸城を守る為、千人隊・同心 などを、農民から選抜した
ことがあるそうな。代々の身分となるわけで、商人層が
金銭で同心・株 を購入したりもした。また、水戸藩では、
身分に関係なく、学校を建てて、革命の備えをしたと、
聞き及ぶ。このような、幕藩体制の破裂する直前。

話を竜馬・土佐藩に戻す。彼は商人階級であり、その家族は
金銭で郷士・資格を買っている。この場合、和服で差別される。
高下駄は履いてはならない。雨降っても、和傘は使えない。
部屋の中では冬でも裸足でなければならない。竜馬がアメリカを
尋ねた時、身分が違ってもブーツ・履いているではないか。
藩に戻れば、裸足だぞ、と泣いたのだそうだ。だから竜馬の肖像写真は
ブーツを履いているのだ、とか。

★ 日本の封建主義は 他国のそれとは、文化が相当、違う。
曰く、「氏・農・工・商・エタ・非民」  エタは部落です。非民は
犯罪を犯して、島流しに会う。藩に戻された場合の人を言う。
カトリック信徒なんてものは、非民の最たるもの。

で、それが成り立つためには、差別をするグループがいるわけで。
一番に内部差別を徹底していたのが、武家階級なのです、よ。
内部差別に不満を持つ武士(郷士)に対して、小作農民を見ろ。
彼らは文句言わずにやっているではないか。小作農民が一揆を
企てる。まだ、おまえたちは幸せだぞ、部落民を見ろ。
とやるわけだな。差別構造を温存させる目的が、経済矛盾を
覆い隠す手段として、使われ、それが、江戸幕府の体制を
続かせた、原因となる。

★ 徳川幕府が倒れる数10年前には、大奥を維持するだけの
資金も無かった。緊縮財政を取っても、江戸の・農工商 を
食わせていけるだけの力はもはやない。完全な初期資本主義
社会。米を規範とする、年貢主義ではもはやなかった。
金銭革命は当然に起こるべきだったし、それは起きた。

問題は、明治維新革命を乗り越えた初期資本家に対して、
農民たちが出遅れた。工業性資本主義に進む中で、
農業の機械化が遅れきった。そこで、そぞろ、差別構造を
温存する政策に切り替えた。 ここに、部落問題が続いた
主・原因がある。ここが解決できなかった、それは取りも直さず
朝鮮人・台湾人 等 差別を新しく 誕生させたことにも繋がる。

★ 台湾からの二世・三世が 日本国籍を持った。で、金銭を持った。
日本の大学では受け入れてくれないので、英国の私立大学に
私費留学させる。向こうの学士資格を得て、日本に帰る。
執拗に朝鮮人差別を行い、カトリック教会の中で浮いている。
****よ、お前のことだ。淺川事件の被害者・某 おまえだ。

この日本と言う、よろしくない潮流。この文脈で、考えて見ると、
すっきり、いくのではないか、な。

350年、武家や初期資本主義から、作られ、続けさせられて来た
部落階級の諸君。平成の今、水平社運動の志。解決出来る
糸口は出来て来たのではないだろうか。しかも、彼らの気持ちを
組んだのは、農民階級の人たちではなく、学習院などにも
影響力を持つ、高位・武家である。この事実は面白く
感じている。で、彼らは、部落運動の中に巣食う、利権主義者の
問題とそれの排除にも、知り尽くしていたのです。

★ 当方  代々の郷士、杉本の出自です。某・家 の
中で、重度身体障害と精神障害を、同時に持つ。
武士としての学びは当然に受けたけれど、家庭内・差別は
執拗になされた。 町内に住んでいる 朝鮮人・長崎 人に対して
差別させることによって、親であるとか、出自に批判が
及ばないようにさせた。 この経験が、坂本竜馬に対する
良い評価とそうでない評価。 各・普遍の日本民族の諸君と
甚だしく違うのは、この所から、来ている。


おはようございます

私は二重人格? 正常時とアルモ時では
文体・思想  そのものが大きく変異する。
自分は出来るだけアルモ書きは しないが良いと
考えてはいるけれど、実際にはあえて、それをする
場合がある。

プロテスタント(カトリックにも潜んでいる)、原理主義者
の連中が、例えば、主任牧師が姦淫罪を犯した、
こう言う事例・事件 よく報道される。
本質を見抜くには、アルモで考えた方が、より近い
結論が得られる。 女性信徒には、嫌われるだろうが。

昨晩、事件の報道に対して、複数の論を
出してみたけれど、文法もでたらめだと、ため息を
つくほどのへたな論説ではあるけれど、
聖職者の孤独、こう言う点も、文幕に散らばっていて
なかなかの、思想だな、と・ 本人は苦笑い。
複眼思想とでも、申し上げますか???

★ 宗教報道、マスコミは我等をタブー視することがある。
その為、事実報道が遅れ、被害が重症となる。
我等が、タブー視してマスコミリークしない為。
また、マスコミリークすれば、村八部になる。

★ 本質は、平たく言えば、原罪。聖職者は聖人ではない。
神父や牧師を有難がって、神様みたいに扱う風習こそが、
論点の本質。単なる人間。神の形に造られたとは言え、
他の脊椎動物と同じく、繁殖動物である。罪と言う認識は
弱くさせられた者は持っているが、聖職者には、ないとは
言えないまでも、頭脳明晰・ そこで説明出来てしまう。

そこに、危ない・本質が、底流が、流れているのでは
あるまい、か?????
★ さすが、保守・律法主義として
信徒としては、隠れて・馬鹿にしていた
野村純一 司教 さんの 保守思想は
正しかった。

★ 深堀 司教。  女 の 失敗は しなかったが、
危ないことを して くれました。

キコはスペインでは良いのかも知れない。

例えば 日本の秋田教会・マリア様の涙。
(実際には、雨・由来の 硫酸ナトリウム水)、みたいな、
ことは、信用できませんよ。それらを、大々的に、
日本の文化で やってしまった、方。罪です。

でも、深堀氏は、日本26聖人 映画 をして
探し当ててくれた、大切な文化を やってくれた 兄弟。

★ 超・福音 と 言っておる、韓国のプロテスタント
その トップ・牧師が、姦淫 で、捕まった。
これは、カトリック・プロテスタント 十戒 で
かつ、聖職者で 由々しき問題で まかりならん。
俺も そう 思う。

★ 米国  と ある 司教区において、深堀・あほ より
遥かに、宜しくない姦淫やらかした、司教も 
こちらのデータには、入っている。  
で どう する????

私たち、カトリックには 位階がある。
15世紀 当たり、教皇が、女した 記述はあるが、現代、
今の所、すべてのキリスト教 各・派 からは、
カトリックは唯一・健全。 
ゆるやかな 掟を言い当てた、
前任教皇 さん と、16べネさん、 余りにも
右翼的な 現・教皇様。 緊張は 走りました。 ま、
回勅(信徒への、命令書)出して 来たので、ほっ。