二月23日 聖ポリカルポ 司教・殉教者
記念 ????-155


12使徒時代が終わり、その弟子の時代。彼らのことを
使徒的教父と呼ばれているのだとか。 司教あるいは
司祭(神父)の仕事とは、誰に対しても哀れみの心を持ち、
迷った者を正しい道に連れ戻し、病人を訪ね、怒りから離れ、
金銭から遠ざかり、施しを説き、神の名を汚さないよう、
信者に呼びかける、ことだ。と、著者の C.バリョヌェボ は
述べている。まさしく、そのとおりだと、筆者も思う。

ところで、迫害のある土地で、それを行うとなると、
困難を伴う。ましてや、通信の手段は、手紙だけである。
しかし、手紙そのものは後世に残る。師の人となり、
殉教の様子などが、生き生きと描かれているのです。
聖ヨハネの弟子、スミルナ教会の司教。107年、アンティオケの
聖イグナチオが死刑の為ローマに護送された時、彼から
手紙を貰ったことなどが、記録されている。

156年、スミルナで迫害・発生。聖ポリカルポは殉教した。
経過は、次のとおりであったと言う。まず、10数人の信者が
競技場において猛獣に食われた。この時、進んで殉教したいと
申し述べた者一人。信仰を捨てる。 彼ら迫害者は
多神教主義 = 有信仰者 と言う図式。この時の殉教者の
中には、聖ポリカルポがいなかった。数日後・逮捕される。
「無神論者」と罵られる。答えて、いわく、「貴様らこそ、
無心論者だ、うせろ」。 知事は「今 ここで゛キリストを
呪ったら快方する」。 返して、いわく、「私はキリスト者である」

火あぶりの刑。群集は薪を持ち寄り、騒ぎながら、火をつけた。
柱にくくりつけられた、ポリカルポは、平安に祈りの言葉を歌った。
キリストの杯を飲むこと。永遠の命のために、体と霊魂の復活、
この機会を与えてくださった、神に感謝、します、と。

西ローマ帝国がキリスト教を国教としたことが、東ローマ帝国の
住民にとって、ローマ帝国に抵抗する為、土着の多神教を使った
ものと思われる。宗教戦争では、必ずしもなく、政治・経済がらみ
である事が普通。日本・聖人 の時、このことをも明らかにしてみたい。

★ 私は、行い(律法)は必要だと、考えている。単なる、
信仰義認説も、口では信仰義認説を唱えている牧師や司祭に対しても
実際はタバコは酒は なんて 言ってますな。事実上の律法主義では
ないか。事実は、順序があるのではないか。頭・部分に、
信仰義認説が、ばんと出て、信じましょう、です。信じたならば、
自由意志で、行いに入りましょう、です。自由にされたのに、
それを使わないのはもったいない。→ 故に、殉教時には、
信仰が光っていくのではあるまいか。サタン(悪霊)は、
信仰義認説の本質を、伝わらないよう、暗躍していると考えています。