イングランドも、日本に劣らず、迫害・殉教の血で
彩られた、時代があつたそうだ。イギリス国教会が
誕生する遥か・以前、女王エリザベス一世が、
教会の頭であることを宣言。 1531年頃と言います。

聖エドムンド・キャンビョンと イギリスの殉教者
イエズス会  任意 1573-1679

当時・記録によれば、教皇に忠実とし、故に
殉教を与儀なくされた人物は、司祭・修道者・信徒に
及び、42人が列聖、160人が列福されている。
うちわけは、4人の男性・3人の女性(一般信徒)、
教区司祭14名、イエズス会士9名、ペネデゥクト会士3名、
フランシスコ会士2名、その他の修道者   彼らを合わせる
と313人だと 言われている。

そのうちの一人、聖エドムンド・キャンビョンを上げてみる。

オックスフォードで勉学した優秀な男であり、人気者でもあった。
彼は信仰を守って、いたが、国教会の司教に説得され、
女王の宗教の、助祭として就任。 しかし、両親の呵責に
より、国外逃亡する。カトリック教団を再・選択する。

外国で、イエズス会派となり、修道司祭の位階を受ける。
12年後商人を装って、イギリスに潜入。荒廃したカトリックを
立て直す仕事に重視。カトリック原理の正しい書物を発行も
したのであった。仲間が裏切り、オックスフォード大学の
教会のベンチに、彼の著作を400冊も置いた。
このことが、秘密理に仕事をしていたのがばれた。
二人の司祭と共に、捕らえられた。

廃教を迫られるが、彼は言った。女王は国の頭で
それは認める。天上に位置する教会の頭はイエスである。
そして、その当事者は女王でなく、教皇である と
高らかに宣言したのである。
故に、死刑の判決が下され、絞首刑となる。
まだ死んでいない体から、内蔵を取り出す などを
やられて、殉教したのであった。

イギリスが、現在、イギリス国教会主義の国であっても
カトリックに肝要なのは、ここの事件が、勝利に結びついた
結果 なのである。