速乾性ペンキとは云え、塗り終えて16時間経過したのに
まだ、座布団を敷かないと、ケツがむずむずしています。
それは、さておいて。

使徒の働き2章5-13節 まで、読んで見ましょう。
ペテロは17節で、神は言われると題して説教してます。
これは、創世記11章 バベルの塔 と、対を成していますね。

話は日本。日本人は 遠い・真ん中・身近 こう言う分類を
する人種であり、その事・事態は 差別ではないです。
見ようとしないだけ。そこから、単一民族単一国家だと誤解してしまう。
けれど、人数は少ないけど、日本国籍を持つ人たちは大凡、200民族は
日本国に住んでいるのです。

話はでかくナリ過ぎるので、カトリック教団に絞って論争してみたい。
日本人種・信徒 46万人に対して、他民族の信徒は 軽く50万人を
越していると推定されます。で、神父さんたちが彼らを司牧する方法は
二つあります。カタログ語・ハングル語・英語・ブラジル語 のように、
人数の多い民族の言葉で、日本人へのミサとは別に、ミサをすること。
この方法の良さは、例えば布池教会でのタガログ語ミサの場合、
フィリピン人行商人が、ロバのパン よろしく、その国の食べ物を
売りに来て、フィリピン文化を堪能できて、すこぶるよろしい。
反面、ドイツ人コロニーの諸君は、このミサには、預かれないでしょ。
言葉が壁になってしまうのです。
もう一つの方法は、バチカンの公用語である、ラテン語でミサを執行する。
もちろん、日本人種には日本語文、英国系の民族には英語典礼文が
併設されなければ、意味はないです。少なくとも、カトリック教団で
洗礼に預かった信徒は、いちおは ですけど、ラテン典礼の読み書きは
可能。つまり、ペテロの説教が、ここの教団では成り立つのです。

バチカンは正式な典礼としてはラテン典礼を命じています。と同時に、
それぞれの民族、それぞれの国 この国語文化をも大切にせよと命じてまして、
この二つは、矛盾しないのです。

「ミサの式次第」と言う書物があって、奉献文が掲載。。第一から第四まで
神父さんは自由に選択し、ミサを執行できます。そのうち、第一こそ、
ラテン典礼の日本語・直訳文です。一般には、日本は第三奉献文の
教会と言えると私は考えています。だから、第一をラテン語で執行して欲しい。
たまには、ですけどね。信徒の権利として、神父様は、この意見も
聞く義務を持ってます。

★ 毎回 この 方式でやられたら、私は気が狂います。