自分の思いではなく、神様の思いを想像しながら。

自分の仕事を端的に表すならば、音響屋なのかな??
もちろん、CD だとか DVD を単純にコピーし、
ブログに流す なんて 事をしても、意味はない。
そう言うのは、買って お聞きください。

1. 譜面から、作曲家の意思と哲学を読むことで 
  それを聞く。そこから、神の意思を想像し、解釈。
  編曲の行為を成し、皆様に 届ける。

2. カトリック障害者連絡協義会 などで 
  その基調報告 等 録音させていただく。
  ネットの中で 祈りの必要な方々を見つけて、
  祈りが 必要な人たちからの励ましを その魂の実声を送る。

★ こう言うこと、です。

虚栄と言う物は、自分と他者複数があって、
彼らと自分の距離を測り、自分が優れていると判断すること。
しばしば、誇りと誤解している。

誇り。例えば、現代・新宿・花園神社。人を観察していると
フィリピン人と思わしき人たちが、客を拾ってます。
ずばり、売春だ。働いてます。官憲に見つかったら、
給金を取られるし、客を取らないと生活に苦労する。
で ふるさとに 送金。言うならば 売春御殿の誕生。
帰国すれば、罪人とされるお国柄。お財布の中には
ミニロザリオ。誇れるのは イエス・キリスト のみ。

テント生活者を支援させてくださいと願う。
おにぎりを配る。医師を派遣する。
病のまま、放置されてている人もいる。
時折 「にいちゃん ご苦労ささん、風引くよ」と
彼らから 声がかかるそうだ。彼らの心には誇りがある。

こう言う、健常者から見て罪を感じる人たちに対して、
神の国がどうの こうの なんて 言ったら、<殴られる> のが落ち。
神学部経由で 牧師や神父になった 「あほ」 たちの 学問的虚栄で
神の国を 知らせることは、出来ないと 思うべきではないかな。

そして、教会と言うものが発展して行くためには、
彼らこそ、教会信者として、洗礼を受けて貰うべきだとさえ、
筆者は思う。何も持っていないと言うことは、誇り。
ここに神学の意図するものがある。

★ ここん所に立脚しないと、聖書の目的は理解出来ない。

マグダラのマリアは なぜ、娼婦であったか。なぜ、黒い黒髪を涙でぬぐい
高額な化粧油を イエスの足元に ぶちあげたのか。
この油は 女性の 結婚の時に 持参する物で 埋葬にも使われる。
イエス様が死ぬ。ここを予測できた、少数の人間の 一人でした。

と言う 説教が 成り立つのです。