こんばん
は
佐賀・断捨離®トレーナー講習生もりたかおるです
断捨離®を始めたきっかけは
2021年、藤田久美子トレーナーの一回セミナー受講に始まり、
もっと学びたいと9月の3回講座を受講したこと。
それから
モノと向き合いながら、居心地の
良い空間を作ってきました。
スタート時からの断捨離品を辿って
その時の自分の思考や観念を振り返って
みたいと思います。
「着物類」と「アルバム」は、
早く片づけなければいけないと、ずーっと思っていました。
思い続けること20数年、やっと手をつけました。
着物類の断捨離ビフォーとアフターそして、現在
20数年前、実家の建て替え時に母から託されたキモノ
仮屋に移るため、『母が要る』というモノを除いて全部持ち帰りました。
母の要望もありましたが、私も当時、茶道を再開していたので、お稽古着としても、お茶会にも使えるかもと。
持ち帰って解いてみると、まぁシミ・変色だらけ。着物も襦袢も足袋も、
すべてが湿気臭い、カビ臭もします
そのまま、タンスにしまうこともできず、明らかに使えないモノは捨てて、
それ以外の着物・襦袢を『洗い張り屋』さんに持ち込みました。
そこの店主に、洗い張りに出す『価値の有無』を決めてほしいという
期待を込めて持ち込みました。
あくまで、自分の価値観ではなく、
単にその着物は高いのか安いのか、技術の価値はどうなのか。
価値があれば、手をかけて、お金をかけて取って置こうという
浅ましいスタンスで
期待に反し、店主は「どれも良いモノです。今のモノとは全く違います」と。
結局、着物の価値がわからない私は、「着ようかな」と思った着物を洗い張り(母とサイズが違うので、一旦 反物にしました)。「着ないだろう、でも使えるかも」は、丸洗いしてもらうことにしました。
枚数が多かったので、出費も大変
断捨離した小物のほんの一部です
でも大変なのは、それから・・・
多過ぎてタンスに収まりきれないのです。
とうとう、間に合わせの小さい桐たんすを買い、
それでも入りきれないモノは、
着物収納用紙箱に入れて、箪笥の上に積上げました。
そして、数年経ち、小さな桐たんすは、
梅雨時の湿気で膨張し、引き出しが開かなくなりました
むりやり引っ張って、引き出しが壊れてしまいました
壊れたまま使い始めた頃に『佐賀県断捨離®会 藤田久美子トレーナー』の1回講座を受けました。立て続けに3回講座も受講し・・・
おかげで、「目の前のモノが減って、心もスッキリ」
そして、「観念の断捨離」のおかげで、物事の捉え方も変わりました。
さらに、自分に課題を課したいと思うようになりました。
長年、気になっていた着物とアルバムの断捨離です。
これらを今年残り3か月で断捨離すると決めました。
まずは、自分が取って置きたいモノ以外の
足袋や帯締め、帯揚げ、小物類など、大量に処分し、ショールや雨コート
そして、結婚するときに親から持たせてもらった喪服と草履を処分しました。
「草履と喪服」ですが、断捨離®と出会う3か月前に父が亡くなりましたが、コロナ禍でもあり家族葬となり、誰も着物を着なかったのです。それで、もう着ることも無いと判断しました。
母の着物は、母が着ていたのを思い出し、手放しがたい思いでいっぱいでしたが、
3か月と期限を決めたので、まずは「総量規制」の箪笥一竿に収まる量に減らすことに専念しました。
着物と向き合いながらも、いろいろな想いがあったことに
気づきました
小さい頃から何枚も着物を仕立ててもらいましたが、
どれも私の好みではなく、母の好みばかり。
どれも同じような色と柄のオンパレードで、
ちっとも嬉しくなかったけど、母が怖くて口には出せなかったこと。
母の着物の枚数の多さにびっくりしましたが、
着物を買うことで、自営業や大人数の所帯の切り盛りで溜まったストレスを発散していたのかなと、当時の大変さが理解できるようになりました。
断捨離前は、「娘であるワタシの成人式の着物は従姉妹の借り物なのに、
自分(母)の着物はこんなに買うんだ」と恨みがましく思ったこともありましたが。
今では、それもこれも娘のためを思ってのことだと
理解できます
「良かれと思って・・・」
「あなたのためを思って・・・」
でも、それぞれの想い・価値観は違います。
押し付けはダメ
私も散々、子ども達にしてきました。
良かれと思って。
ごめんなさい、本当に
自分の価値観があるように、家族といえども
家族一人一人の価値観があること、
自分の価値観も、他者の価値観も大事だと
断捨離®が教えてくれました
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