尼崎の脱線事故の日。
当時住んでいた家の、近くにある高校の子が亡くなった。
USJへの遠足の日で、ルートが自由な現地集合だったときいた。
運命というのは、本当に残酷で。
考え始めると、哀しくなる。
友達同士で、どの路線を使うか、何時に乗るか、
きっと、USJでスヌーピーに会えるかなと楽しみにしながら計画をたてたはずだ。
川西池田の駅まで、能勢電を使ったのかバスを使ったのか。
亡くなる前の彼女が、わくわくしながら眺めただろう景色が頭に浮かぶ。
あの日、遠足でなかったなら、他のルートを選んでいたのなら、
26、7歳で、つらいけれど楽しくもある生活を送っていたんだろうか。
もう、十年が経ったのか。
遺族の方々の哀しみを思う。
十年経とうが、二十年経とうが、家族を失った哀しみは消えはしない。
9時18分、黙祷をしよう。