80年前の広島の朝に祖父は | のんびり50代兼業主婦の日常

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よろしくお願いします。

こんばんは。

 

 

私の亡き両親は共に広島出身でした。

 

 

父は広島の東の方で育ちましたが、母は広島市内で育っていたので、戦時中に広島県内で疎開したと聞きました。

 

 

母方の祖父は仕事で広島市内に止まっていました。

1945年8月6日の朝、出社しようとひげを剃っていたら、手が滑ってカミソリで頬を切ってしまい、いつも乗る市電に乗れなかったそうです。

 

 

家を出ようとした時突然家の中で爆風に襲われ、祖父は玄関から家を端まで吹っ飛ばされました。

あとでその爆風が広島に投下されたリトルボーイのせいだとわかりました。

 

 

後に被爆者健康手帳を所持するようになった祖父ですが、手帳のことも、あの日の朝のことも、祖父から直接聞かずに亡くなりました。

 

 

私は両親が共に広島出身ですが、原爆ドームも平和祈念館も今まで一度も行ったことはありません。両親にとって、特に父親が被爆者になった母にとって、複雑な思いがあったのかもしれません。