我が娘を見るなかで思った事、
学びながら気づいたことや感じたことです。
報道記事
様々な見解があがっています。
コロナ禍
生活習慣の乱れ
無気力
無理に学校に行かせなくてもいい意識
家庭環境
いじめ
オンラインでも受けられる
不登校母として
正直、腑に落ちない情報もとても多い
と感じています。
しかし
先の見えない状況に直面した親子の数の増加が
ようやく学校教育の改革に繋がる時が来たと
捉えられる部分もあります。
子供が不登校になって、先生方と接する中で
親身に子供の事を考えてくださる先生がたくさん
おられることを実感しています。
ですが
現状の多人数学級、基本受け身の授業、多くの規則は今現在、まだまだ不変的です。
30年前の学校生活に私が感じた事
私が小中学生だった頃は(約30年前!?)
SNSがほぼない時代です。
私が中学生の思春期にとくに思っていたことですが
みんな同じでないと浮く学校生活に
疑問を感じていました。
こういう規則や雰囲気の中で
みんな同じような大人になっていくんだなって、
つまんないなって、
みんなどう感じているんだろうって、
冷めた目で見ている自分がいました。
ずばり
面白くなかったんです!
学校が。
ですが、その世界しか知らないし
まさか学校に行かないなんて選択肢はないし
普通を外す勇気などもないし
そのうち良くも悪くもみんな同じである事に疑問を持たなくなってきました。
ずっと座って授業を受けること。
退屈だったなぁ…
(生物だけは好きだったけど。医療系に進む理由の一つになったのかなぁ)
自由に活動できるクラブ活動は
楽しかったですし、学生ならではの友達関係も
人並みに楽しんできました。
今でも連絡を取り合う友達は
学校のクラスメイトではなく
たくさんコミュニケーションをとってきた
クラブ仲間です。
ネット時代、変革期に生きる子供達
私達大人が育ってきた頃と今の明確な違いの一つは
ネット環境、情報量かと思います。
日々成長中の子供の前に
情報を得る手段として当たり前にそこにあるスマホ。
スマホで出来ないことの方が少ないのでは
と思ってしまいます。
子供はそこから知識を増やしていくのでしょう。
自分らしさ、多様性、ありのまま、などの言葉を
耳にすることが日常的になり
子供達がSNSで得る情報には
それに繋がるものも多いかと思います。
様々な情報に触れて
自分を確立しやすい一面も
あるのではないでしょうか。
実生活とのギャップ
ネットを通して
子供はたくさんの世界を見て
様々な価値観に出会い続けています。
実生活だけでは思い至らなかった価値観に
出会うことがどれだけあるでしょう。
一方で現実は…
実生活での学校が
子供にとって意味を見出せず
ただ耐える場所になっていたとすれば
学校へ行かないことは
必然的に起こってくることではないでしょうか。
「集団生活の中での自分」
と
「自分らしくありたい自分」
何が自分らしいのか。
学校、塾、忙しい生活のレールに乗って
バランスをとりつつ生きることって
簡単なことでしょうか?
何のため?
思春期の子供の休まることない思考、感情に
想いを馳せてみたいです。
学校へ行かない選択は
悩み、苦しんだ末に
最終的に子供が出した答えです。
決して安易に出したものではありません。
学校生活、大人にあってほしいもの
学校での時間が楽しいと感じられること。
そのために
学校が自分を出せる場所、
認められる場所であってほしい。
学校では
集団生活の当たり前をたくさん教わります。
家庭でも教えられ
代々伝え教える傾向もあるでしょう。
人に迷惑をかけない
約束は守る
相手の気持ちを考える
最後までやり抜く
大事なことかもしれません。
しかし、
子供の気持ちはいったいどこへ??
周りの気持ちばかり考えてない?
自分の気持ちは?
まず、自分の気持ちを大切にしていいんだよ。
みんな違って当たり前なんだよ。
それでいいんだよ。
ということに目を向けたい。
大人が子供を受容、承認することで
子供は自分を認める視点を持つ事ができ
自分自身を肯定的に見る事に繋がるでしょう。
そこから自らの挑戦や経験を通して
心が成長することで
周りを大切にする心が生まれてほしい。
芽生えてほしい。
子供の資質、強みを見る大人の目が増えた先に、
将来子供達が自分の人生を楽しんで生きる姿が
あることを望んでいます。
