前回の投稿より早や4年半以上が過ぎました。
月日がたつのは早いものですね。
あれから色々ありまして、ようやく落ち着いてブログ作成ができるようになりました。
今後とも宜しくお願い致します。
さて、再開にあたり、前から温めていたテーマにとりかかろうと思います。
それは「力(ちから)」についてです。
世の中には様々な「力」があります。
もちろん、物理的な「力」だけではなく、権力といった人を支配する「力」、権限や承認といった組織を管理する「力」はもちろん、子供の保護責任も親に与えられた一つの「力」と言えるでしょう。
人間は日々様々な「力」に憧れ、脅え、逆らい、服従を繰り返しているといえます。
当然、フィクションの世界でも「力」を題材にしたものは多く、映画にも必ず「力」の描写がでてきます。
そこで、有名な三つの映画を「力」という観点から考察していきたいと思います。
その第一弾として「スターウオーズ」を取り上げます。
スターウオーズの一作目であるエピソード4は1977年に公開されました。
ようやく自力で(友達同士で)映画を見に行ける年齢となったころでした。
この映画の情報が入ってきたときは、かなり興奮をした覚えがあります。
それまで宇宙を舞台にしたドンパチ物と言えば、私の中では「宇宙戦艦ヤマト」であり、単純に血沸き肉躍るSFは子供向けしかありませんでした。
それをハリウッドが金をかけて、最新の技術を用いて製作されたというのは、ようやく世界が自分達(子供達?)の世界に追いついたと妙な自己満足も覚えました。
しかも、主人公は実は大いなる力を有しており、荒くれもの達とお姫様を救い出し、武器は日本のチャンバラさながらのライトセーバー、でも悪の宿敵が自分の父親だったりして、それでも最後は悪をやっつける、なんてもう理屈なしに楽しめる要素てんこ盛りでした。
さて、この映画で重要なポイントとなるものが、そのものずばりの「フォース(force)」、「力(ちから)」です。
ただ、この映画における「フォース」の意味は単純に物理的、精神的な「力」ではなく、あらゆるものに存在するエネルギーといったようなもっと大きな「力」であり、中々言葉には表しにくいものです。
そこで、一作目公開当時の字幕では「理力」とされ、ノベライズの和訳では「力場」とされていました。
結局日本語には表せられないのでいつのまにやら「フォース」とそのままの言葉となってしまいました。(後々考えれば「力場」という和訳は悪くないと思いますが)
映画の中ではフォースはかなり大いなる「力」であり、どんな武器よりも強いものであるという設定であるので、当然使い方によっては人々を救うことも支配することもいずれにも威力を発揮することができます。
当然、フォースはそれだけの力のためであるからこそ本来善のために使われるものですが、一方で、フォースを世の中を支配するため、自らの欲求を満たすため等、私利私欲のために使う連中もいて、それらを「ダークサイド」という言葉で表し、この壮大な物語の大きなテーマは、フォースを正しく使う者とダークサイドに落ちた者の闘いと言えると思います。
では、この映画でフォースを操るということはどれほどのことなのでしょう。
フォースを操ることができるジェダイの騎士は人々からの尊敬の対象である一方、高潔さも求められる存在となっています。
ただ、ジェダイの騎士は、その修業を自我が芽生える前の幼少期より開始しなければ、その高潔さを得ることができないということのようです。
つまり、自我が芽生え人を愛するという心ができてしまえば、その愛を失うということに恐れを感じ、「恐れは怒りに、怒りは憎しみに、憎しみは苦痛に(ヨーダのお言葉より)」通じ、結果ダークサイドに落ちてしまうということです。
親や家族を愛するということでさえ、フォースのダークサイドに通じてしまうという何とも皮肉な話ですが、物語では幼いアナキンでさえ、年齢が行き過ぎているということでジェダイの修業をすることに反対されたくらいです。
あんな小さい子でもだめなの?と思ってしまいますが、確かに既に母親を愛する心があったアナキンは、結局成人してからは母を失うことに苦しみ、パドメを愛し、更にパドメを失うことの恐れをなしてしまい、その心の隙をシスにつかれ、ダークサイドに落ちてしまいます。
ものすごく残念な話ですが、ストーリーから考えれば、アナキンがダークサイドに落ちなければ、シスを葬り去れたことでしょう。
その後のことは、皆さんご存知の通り、オビワンと戦って瀕死の重傷を負ったアナキンはダースベイダーとして復活し、最後は息子であるルークと対決し敗れますが、シスを完全に葬り去ることができなかったことで、ルークやその仲間達は後々次の世代までダークサイドに翻弄されることになります。
この物語から考えられるのは、まず、「力」をもつことの責任の重さです。
その責任を負うためにジェダイは幼児の頃から修業するというのは極端ですが、やはり力をもつと同時にその力を使うことの責任と意義を同時に学ばなければいけないということです。
これを現代の社会、特に会社組織に当てはめてみればどうでしょうか。
会社では新入社員の段階ではあまり権限がわたされていませんが、年数がたち、キャリアを積んでいけば、役職も上がり、その分給料も上がります。同時に社内的な権限が増していきます。
ただ、中にはその権限を私利私欲に使ってしまう人もでてくると思います。
例えば、人事評価を行う人が自身の好き嫌いで不公平な評価をしてしまう、交際費の枠を持っていいる人が私的な使用をしてしまうといったところです。
実際には、最近の企業はガバナンスをきかしているので、そんな簡単にはできないはずですが、やはりこの手の「社内的に力をもった人の横暴」はあとを絶ちません。
ハラスメントなんて、その最たる例ですね。
でも、一番の問題は、会社のトップにたった人がダークサイドに落ちてしまうことです。
その場合、自身の権力の維持に必死となり、絶大な力を振りかざし、社員を恐怖によって支配していきます。
正にシスの暗黒卿そのものです。
なんて、大層な話になってしまいましたが、力をもつこと、使うことの光と影をうまく表現してくれたのが、このスターウオーズという映画だったと思います。
要するに普遍のテーマなんですね。
ということで、皆さんがダークサイドに陥らぬよう、
May the Force be with you!
(フォースとともにあらんことを!)