「前回「カリオストロ」でチラリとでてきましたが、今回は日本映画の、また、日本ミステリーの普及の名作、「犬神家の一族」です。

これは映画として紹介すべきか、小説として紹介すべきか、かなり迷いましたが、とりあえず映画のカテゴリーで紹介しておきます。(途中で小説の紹介になったらごめんなさい)

映画はもちろん市川崑監督の1976年版です。

 

まず、私の横溝ミステリーとの出会いを説明します。

小学生のころ、当時読んでいた小学生向け雑誌(科学と学習だったか?)で名探偵特集があり、そこで日本の名探偵として紹介されていたのが明智小五郎と金田一耕助でした。

もちろん江戸川乱歩の少年探偵団シリーズは愛読しておりましたので、明智小五郎はわかっておりましたが、金田一耕助は初耳でした、そこにはこう書かれていたことを覚えています。「日本で最も難しい獄門島事件を解決した」

「獄門島」は金田一シリーズの中では初期のころの話ですが、この「犬神家の一族」や「悪魔の手毬唄」と同様の見立て殺人で有名な小説です。

その後、1976年に市川崑監督でこの映画が公開され、世に金田一耕助が知られ、今でも日本人にとって最も愛すべき探偵となります。

実はその時はまだ小学生だったので映画は観にいけなかったのですが、その後土曜日の夜に古谷一行主演のドラマが放映され、それで初めてこの内容を知ることになりました。

その後、映画、小説と長きにわたりこの物語に付き合うことになります。

 

さて、私自身それほど多くのミステリーを読んでいるわけではありませんが、これは殺人物ミステリーとしての面白さが凝縮しているという点で、普及の名作と考えます。

それは以下の点からいえます。

・大金持ちの家が舞台

・当主が亡くなり、その遺言状をめぐる関係者の連続殺人

・猟奇的で印象的な描写

・見立て殺人

・個性的な登場人物

・絶世の美女がヒロイン

・全体的におどろおどろしい

まあ、ベタなくらいミステリー王道の設定山盛りですが、何よりもあの助清のマスクと湖から足だけでているビジュアルがあまりにも有名で(あのさかさまに足だけでている状態も見立て殺人として意味をもっているのですが)、その後金田一耕助といえば犬神家みたいな代表作となりましたね。

そういう意味ではこの1976年の映画化が後の金田一人気を長きにわたり継続させた根本理由だと思います。

この映画における市川崑監督の演出は、日本映画の歴史の中でもかなり高評価に値するもので、個人的にも名作中の名作と考えています。

 

ただ、小説をよく読みこんでいくと、実は映画よりももっと奥深い内容で、本来この物語の本質、作者の横溝正史氏が書きたかったことは1976年版の映画では反映されていないと考えています。

これはその後幾度となくリメイクされている映画、ドラマでも同様で、そもそもどれもこれも映画1976年版を超えるものがないことからして明白です。

というか、1976年度版があまりにも質が高すぎて、その後の映像化作品は原作ではなくこの映画がベースとなってしまっているのかもしれません。(これはスタンリーキューブリック監督の映画「シャイニング」は、原作者スティーブンキングが酷評しているにも関わらず、ホラー映画の名作となってしまったことに似ています)

では、映画では描かれなかった奥深いところとはなんでしょうか。

 

(ここからネタバレとなります)

 

先ほどこの物語は「ミステリー王道の設定山盛り」としましたが、実はミステリー王道の設定の最も重要な要素を外しています。

それは「意外な犯人」です。

この物語の犯人はあまり意外ではなく、殺人の直接的な動機はかなり単純なものです。

でも、殺人や殺人後の状況に至る背景や過去の因縁はかなり複雑なものであり、犯人捜しというより、全体像そのものに重要性があるのがこの物語の特徴です。

横溝正史の金田一耕助シリーズはフーダニット(誰が?)ではなくホワイダニット(なぜ?)に重きをおかれていますが、この物語はそれが重要であり、かなり人間ドラマに近いものです。

単純な犯人捜しの物語ではないので、何度も映像化されることになったのでしょう。

従って、「背景」や「因縁」をどこまで掘り下げるかによってこの物語における作者の書きたかったことを表現できるか変わってきます。

 

では、映画では描き切れなかったこの物語の「本来の」重要なポイントを紹介していきます。

①遺言状

物語の最初の山場は、信州随一の巨人と言われた犬神製薬の創始者犬神佐兵衛が亡くなり、その膨大な遺産に関する遺言状が公開されるところです。

この遺言状が複雑で、条件によっては誰が事業を継続し、誰が遺産をどこまでもらえるのかころころ変わるのですが、実はこの遺言状こそが犬神佐兵衛翁が何をどうしたかったのか、何を考えていたのか、ということが全て凝縮しておりますので、最後に全体像が判明する際に遺言状をしっかり理解できているかできていないかでこの物語の本質をとらえられるか否かが決まってきます。

②登場人物の性格

色々な映像作品をみても、結構登場人物の個々の性格を原作通りに表現しているものはありません。

流石に松子夫人は原作通りですが(これも1976年版の高峰三枝子のイメージが強すぎますが)、それ以外の登場人物は、金田一耕助は仕方ないにしても、それ以外の主要人物である犬神佐兵衛、犬神佐清、野々宮珠世、青沼静馬、猿蔵、大山宮司に至るまで結構キャラが変わっています。

もちろん小説でも漫画でも映像化する場合、原作に忠実にだけではなく、作り手の解釈によって登場人物のキャラも変えることはよくあります。

ただ、この物語に限っては、その細かいキャラが結構物語の本質をついてくることがあり、そこが1976年版も含めて過去の映像作品では原作とは微妙にずれており、結果本質からもずれてしまったということになります。

例えば青沼静馬は復讐に燃えるという意味では原作も映画も同じですが、それ以外のことは小説の言葉では「格別悪人というわけではなく」「われわれと同様な潔癖症をもっていた」ということになります。

静馬は復讐に燃える狂人なのか、本当は普通の人だったのか、これは一つの例ですが、その細かいところをだすかださないかによって、この物語全体の見方が随分変わってきます。

③犬神佐兵衛の真実

横溝作品の有名どころの一つの特徴として、血筋の秘密というものがあります。

要するに事件の背景として登場人物が意外な血筋を持っていることが判明し、それが事件の全容につながっているというものです。

もちろん、この物語も当事者からすれば、「そりゃないだろ!」というような佐兵衛翁の真実が暴露されます。

それこそがこの物語の根幹であり、佐兵衛翁が生涯正妻をもたず、実の娘たちにもつらくあたり、最後にあんな遺言状を書いたことにもつながります。

映画では、もちろん佐兵衛翁の真実は暴露されていますが、それが後の佐兵衛翁の行動にどうつながっているのかが抜け落ちています。

それこそが作者横溝正史が最も表現したかったことではないかと考えています。(少なくとも私はそこが一番響きました)

もし映画は観たけど小説は読んだこがないという人がいれば、ぜひ小説を読んでいただきたいと思います。

 

ただ、この連続殺人事件は映画でも小説でも言葉で表現されることとして、「恐ろしい偶然の重なり」ということになっています。

確かにそうです。

佐清と静馬の戦場での出会い、静馬の怪我、佐清の帰還の遅れ、静馬の出現、と、これらが

彼らの意図することなく連続殺人事件が発生する、ミステリーというにはあまりにも偶然に頼りすぎています。

では、佐兵衛翁はこの遺言状を作成した際に、これらのことを予見したのでしょうか。

もちろん、松子夫人を初めとする娘やその家族たちの性格はよく知っていたので、ある程度の予防性をはっていたとは思いますが、佐兵衛翁のベストのシナリオは、珠世が幸せになり、かつ犬神製薬を存続させることが可能な内容として、珠世と佐清が結婚して事業も財産も引き継ぐということだったのだと考えます。

要するに佐兵衛翁は佐清が相応の実力者であることが分かっており、珠世も佐清にぞっこんだったことで、遺言状の第一条でほぼ9割方目的は達成すると考えたのだと思います。ただ、佐清が出征していること、珠世、佐清以外の誰も信用できないこと、その場合最大限珠世の安全だけは守るということで、第二条以降を考えたのでしょう。

遺言状の後半部分はかなり青沼静馬がクローズアップされますが、考えてみたら珠世は佐兵衛翁の孫だけど、静馬は実子です。

それなのに、もし佐清が健在であればすんなり第一条で終わってしまう遺言状にしたのは、流石に佐兵衛翁も静馬に無条件で与えるつもりはなく、娘たちを無視して「斧琴菊」を与えたことをそれなりに反省していたのでしょう。

要するに結局静馬も珠代を守るための当て馬だったのです。

もし珠世が殺されてしまうようなことがあったりした場合は、娘たちが最も憎んでいる青沼菊乃の実子静馬に財産がいく、ということでそのような事態を防いだのだと思います。

結局佐兵衛翁にとって優先順位は珠世が一番だったということです。

それは、佐兵衛翁が生涯で唯一愛した野々宮晴世の血を引いていたからに他なりません。(珠世が絶世の美女というのは絶世の美男子であった佐兵衛翁の血を引いていたからと想像できますが、佐清と静馬が似ていたというのも両者が佐兵衛翁に実は似ていたのではないかと示唆されます)

 

以上の内容はやはり映画だけでは読み取れません。

一方、小説ではあの独特のおどろおどろしさは感じとることもできません。

従いまして、やはり映画も小説もどちらも楽しみ、また、1976年版だけではなく、後々の映像化作品も全て見て、その奥深さを楽しむのがいいのだと思います。

さて、肝心のこの映画の金田一耕助の「殺人防御率」はどの程度だったでしょうか。

犯人の殺人対象は誰であったか、ということですが、実は遺言状が公開される前には珠代を対象にしていたことを考えれば、唯一殺人を珠世が防がれた存在になります。

金田一耕助はボートに穴が開いて溺れそうになっている珠代を助けましたが、それは推理で助けたわけではないので微妙ですが、珠世は死なずにすんだということで考えれば、死者4名、生存者1名ということで、防御率は20%ということです。

決して高い数字ではありませんが、それでも

金田一耕助は、誰が何といっても、日本史上最高の名探偵である

と断言致します。

 

実は、小説の中で最も好きなシーンは、珠世が、佐兵衛翁にもらった懐中時計に関する幼いころの佐清とのエピソードを語るシーンなのですが、それはどの映像化作品にも原作通りにはでてきていなかったと思います。

佐清の人物像、性格、珠代の佐清への想いをよく表したシーンなのですが、映像ではあえて珠代の本心を最後までださないことにするので、このシーンはさらりと流されてしまったのでしょう。

映像化というのは難しいですね。