東北関東大震災復興ココリラ支援
← これまで37人の方々に参加頂き、最初の目標10万円を既にクリアしたので、目標金額をUPして継続して参加(寄付)を募っています。
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人のためにする ということ
私は、人のために何かをするというのは、ある程度の自己犠牲があってのことと思っています。
例えば、時間を持て余している時や、何の負担や努力のない支援・援助は「人のためにやった」と言えるほどのことではないのかなと。
そういう場合には、してもらった側にもそんなに「してもらった」という感謝の気持ちも薄いのではないかと思います。
以前こんな場面がありました。
私の知り合い(Aさん)がある人(Sさん)に頼みごとをしていました。
Aさん:「Sさん、今度の日曜日に人手が足りないので手伝いをお願いしたいのだけど、都合つけられるかな?」
するとそれを頼まれたSさんは、「すいませんその日はバイクの修理をしようと思っているので無理です。」
Aさん:「・・・」
これは極端な例かもしれませんが、Sさんにとって困っているAさんより自分のバイクの方が重要だったということです。
Sさんは、バイクの修理が無ければ引き受けたのかもしれませんが、修理を先延ばしにして引き受けてこそ、「人のために何かした」ということであり、Aさんにとっても感謝の念が湧くというものです。
そのときに私は、「自己犠牲なくして人のためとは言えない」と認識しました。
一昨年、市制50周年で市から感謝状を貰いました。理由は「長年にわたり青少年の育成のため・・・云々」というものです。
休日の暇つぶしに次男、長女がお世話になった少年野球チームのお手伝いコーチをしているだけのことです。まったく自己犠牲がありません。大概の親は自分の子供が卒団すれば子供と一緒に去ってしまうものですが、私の場合は暇と趣味でお礼奉公を続けているだけなのです。よって感謝される実感が私にはありませんでした。(感謝してもらうのはありがたいですが・・・)無駄な税金を使わせてしまいました。
今回の大震災でも「被災者のため」にはそれなりの自己犠牲があるべきです。
自己犠牲を含めた「出来ること」をしましょう。
「普通にできること」をやるのは当たり前のことで、「人のため」ではありません。(何もしないよりましな程度)
節電・節約なども普通に出来ること以上の節電・節約をしましょう。
ガソリンが無くても移動できる「足」や「自転車」をフルに活用しましょう。
少々高くても「東北」ブランドを購入しましょう。
友人、知人のネットワークを使って、一人の小さな力を大きな力に変えましょう。
東北人の我慢強さに負けないくらいの我慢を見せましょう。
そして風評に惑わされないように、しっかりと地に足をつけた行動をしましょう。
一ノ瀬