ジャーナリズムと飢餓輸出
この2点を軸に今日は話をしたいとおもいます。
タイトルの「ハゲタカと少女」という写真を御存知でしょうか?
実際の写真がこちらです
死肉を好んで食べるハゲタカが、今にも飢え死にしそうでうずくまっている少女が死に絶えるのを待っている場面。
スーダンでの、内戦や干ばつに苦しみ多くの子供が深刻な飢餓状況にあった現実を撮った写真です。
この写真を御存じの方は少なくないと思います。
この写真は1994年にピュリッツァー賞 を受賞しました。
写真家はケビン・カーター 。
●写真への意見が賛否両論●
「写真を撮る前に、少女を助けるべきではないか」
ニューヨークタイムズにこの写真が掲載されるとそんな批判が相次ぎました。
この写真に関しては意見が二つにわかれました。
写真を撮る前に少女をたすけるべきだったという否定派と
この写真を撮ることで、世界に現実を伝えるのがカメラマンの仕事だという肯定派と。
報道が大切か、少女の命が大切か。
これは人それぞれに真っ二つに意見が分かれるものだとおもいます。
実は、受賞式の一カ月後、ケビン・カーターは自殺しています。
精神的に不安定な側面もあったようで、この写真に対しての批判が彼を自殺へと誘ったと断言はできませんが
死の数年前から衝撃的な写真を撮ることと、そうした写真ばかりが喜ばれることに疑問を抱いていたようです。
●ケビン・カーターの想い●
ケビン・カーターはこの写真について次のように語っています
『国連などの食料配給センタ-から500メ-トル離れたところで一人の少女に出会った。
こんな風にうずくまって(真似をして見せる)必死に立ち上がろうとしていた。
その光景を見たあと、いったんはその場を離れたが、気になってもう一度引き返した。
すると、うずくまった少女の近くにハゲワシがいて、その子に向かって近ずいていった。
その瞬間、フォトジャ-ナリストとしての本能が“写真を撮れ”と命じた。
目の前の状況をとても強烈で象徴的な場面だと感じた。
ス-ダンで見続けてきたもののなかで、最も衝撃的なシ-ンだと感じた。
自分はプロになりきっていた。
何枚かシャッタ-を切ってからもっといい写真を撮るのにハゲワシが翼を広げてくれないかと願った。
15分から20分ひたすら待ったが、膝がしびれはじめ諦めた。
起き上がると、急に怒りを覚え、ハゲワシを追い払った。
少女は立ち上がり、国連の食料配給センタ-の方へよろよろと歩きだした
「この後、とてもすさんだ気持ちになり、複雑な感情が沸き起った。
フォト・ジャ-ナリストとしてものすごい写真を撮影したと感じていた。
この写真はきっと多くの人にインパクトを与えると確信した。
写真を撮った瞬間はとても気持ちが高ぶっていたが、少女が歩き始めると、また、あんたんたる気持ちになった。
私は祈りたいと思った。神様に話を聞いて欲しかった。このような場所から私を連れ出し、人生を変えてくれるようにと。
木陰まで行き、泣き始めた。タバコをふかし、しばらく泣き続けていたことを告白しなくてはならない。』
僕自身は、このケビン・カーターの行動には賛成しています。
この写真をきっかけとして、貧困や飢餓、難民の過酷さを知った人がどれだけいるでしょうか。
この村では、1日に10人15人と飢餓で命を失っていく現状がありました。
そして、世界では今でも飢餓人口は10億人ともいわれ、貧困で3秒に1人が命を失うといわれています。
それを多くの人に伝える。それが最も大きな使命だと思うのです。
僕はケビン・カーターがシャッターを押したことに間違いはないと思っています。
目の前の命を見捨てて、写真を撮る事は許されないと考える方も多いと思います。
みなさんはどう考えますでしょうか?
●飢餓輸出とは(日本とスーダン)●
さて、「ハゲタカと少女」の写真についてお話したいことがまだあります。
日本と、この写真が撮影されたスーダンとの関わりについてです。
この写真が撮影されたのは、1994年。
そして同じく1994年から、日本はスーダンから、ソルガムというイネ科の食物を輸入しています。
輸入量は、年間約657t。
そしてそのすべてが家畜の飼料として使われています。
ソルガムは、酒類,菓子,ブドウ糖などの原料にも用いられ、こうりゃんとも呼ばれます。
スーダンではこのソルガムを主食にしています。
このように、自国が飢餓状態にも関わらず、生活に必要な物資を売ることで外貨を得ている輸出のことを
飢餓輸出といいます。
以前お話した、日本の食糧問題
のこともふまえて
「ハゲタカと少女」の写真と向き合ってほしいとおもいます。
p.s.
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