今日もまた人を不愉快にさせてしまった。今まで何度もこうして人間関係を破綻させてしまってきているのにもかかわらずに、だ。俺が考えるに、直接の原因は、俺が相手を見下した態度をとるからだ。俺が相手を見下す場合、二つのパターンがある。一つは本当に取るに足らない場合。もう一つは、相手が俺を見下す場合だ。後者の場合、反発心半分、人を見下すような奴などくだらんという、自分もくだらないということを証明しているようなそうでないような、わけのわからない考え半分で、そのような態度をとってしまう。また、相手が俺を見下す場合でも、初めに俺が相手を見下したから、そのような態度をとるということもある。とにかく、一方が見下すことで、双方が見下し合うことになり、結果的に人間関係に軋轢を生じさせている。
 もし、ほんの少しでも、差が認められたとき、見下したり、見下されたりの関係が生じるのなら、全く同じ人間などいないのだから、世の中は、見下すか、見下されるかの関係しか存在しなくなる。しかし、実際はそうではない。俺が尊敬する友人は俺を見下しても全く不思議ではないのだが、そんなことはしない。能力の優劣と見下すことは、彼らの中で直接結びつくものではないらしい。一方、俺は些細な差でも結びつけてしまう。
 それが寛容という性質の違いによるものなら、俺はその性質を強くする手段が全く思いつかないから、尊敬する友人たちのようになるのは絶望的である。生きづらい人生を歩まなければならないことになる。それが虚栄心によるものなら、自分が実績を積めばよい。見栄をはる必要がないからだ。
 証拠など全くないが、虚栄心が俺をして人を見下せしめるということにしておく。手段が全くないのは絶望的だし、絶望的な状況では俺は生きられる気がしない。
 もし仮にそうだとしたら、俺に見下されたと感じた人も、俺のちっちゃな虚栄心を満たすために見下されたのだと知ったら、腹を立てるのではなくて、憐れんでくれるのではないか。そして、もしそれが俺以外の人間にもあてはまるのなら、俺も腹を立てることなどないのだが。なんとか証明できるといいと思う。