その1からの続き
分娩室にやってきました。
陣痛と陣痛の間に急いで出産用の服に着替えます。
テレビなどでよく見るお産の光景では、何人かの助産師と
一人の医師が出産に立ち会っていたので、何となくそんなイメージを
抱いていたのですが、それは生まれる直前の話。
分娩準備こそ2人の助産師さんがしていたものの、
それが終わるとその場には助産師さん1人とパパだけとなりました。
分娩室はゆったりとした音楽がかかっていて、
「お腹の赤ちゃんをイメージして、深呼吸して…」と
ソフロロジー式分娩法を促す音声が流れています。
痛みレベルはこれまで経験したことのない強さに達し、
しかも波が来る度に強くなり、感覚も短くなってきます。
でも十分に赤ちゃんがおりてこない内はいきんではならず、
しっかり深呼吸し、酸素を赤ちゃんに送り届けなければなりません。
振り返ればこの「いきみのがし」が一番辛かった!!
痛いのに体に力を入れられない。
腰を浮かすのもダメ。
体をよじるなんてもってのほか。
とにかく痛くても「リラックス」して深呼吸。
臨月の頃ネットで見た出産レポートの中に「立ち会いのパパを殴った」
というのが有りましたが、その意味が分かりました。(私は押さえましたが)
そうして必死に「リラックス」してしばらく陣痛を乗り切りましたが、
時間が経つにつれ、いよいよ我慢できなくなってきました。
その時、ついに助産師さんが「じゃあそろそろやってみましょう。」
いきみ解禁です。
痛みの波に乗ってお腹に思いっきり力を入れます。
陣痛が過ぎればすぐにリラックスして深呼吸。
この休憩時間があるから何とか頑張れます。
そして何度目かのいきみのとき、バチン!!と何やら聞いたことがない
不自然な音がしたと思った瞬間、破水してました。
体の中からどぼどぼ~と生暖かい液体が流れ出るという初めての感覚。
そこからは早かった。
どたばたと助産師さんやお医者さんがやってきて分娩室が急に賑やかです。
私が分娩室に到着した際、主治医の先生が来てくれると聞かされていたのに
結局間に合わず、別の先生が駆けつけてくれたのですが、
来た瞬間「え!もうそんな出てんの!?」と言われました。
それに、後から来た助産師さんは経産婦だと聞かされていたようです。
とにかく初産としては超スピード安産だったみたいですね。
赤ちゃんの頭が出てからはもういきむ必要もなく、
先生がよいしょと出してくれました。
そんなこんなで2011年9月30日10時26分に長男は無事生まれたのです。
いつの間にかずっと部屋のすぐ外で待っていた
おばあちゃんが分娩室に入ってきていました。
赤ちゃんはすぐにはだっこさせてもらえず、助産師さんの手によって
キレイにしてもらってから、まずパパがだっこ。そしてカンガルーケアです。
生まれたばかりの長男はふにゃふにゃでしたが、力強く泣き、
誰にも教わっていないのにおっぱいに吸い付きました。
元気だなあと安心した瞬間です。
しばらくすると長男は新生児室へ運ばれていき、私は後産を終え、
局所麻酔をして会陰切開や裂傷の縫合を受けました。
今考えるとゾッとしますが、当時は陣痛の痛みに比べたら縫われる
チクチク感なんて痛い内に入りません。
驚いたのが、処置が全部終わった後、トイレに行くよう言われたこと。
「え!?」と聞き返しましたもの。
何とか自力で分娩台から降りたものの体はへとへとで足腰はふらふら。
情けないながらも車いすを借りてトイレに行きました。
こわごわでしたが何とかトイレを済まし、また車いすで病室に運ばれました。
この時丁度お昼の時間帯。
普通食が出てきましたが、さすがに全部は食べられなかったです。
パパとおばあちゃんは外にランチに行きました。
私は疲れたから眠ろうと思いましたが、やけに目が冴えて眠れませんでした。
次の日からは長男と母子同室。ドタバタ育児の日々が幕を開けるのでした。
分娩室にやってきました。
陣痛と陣痛の間に急いで出産用の服に着替えます。
テレビなどでよく見るお産の光景では、何人かの助産師と
一人の医師が出産に立ち会っていたので、何となくそんなイメージを
抱いていたのですが、それは生まれる直前の話。
分娩準備こそ2人の助産師さんがしていたものの、
それが終わるとその場には助産師さん1人とパパだけとなりました。
分娩室はゆったりとした音楽がかかっていて、
「お腹の赤ちゃんをイメージして、深呼吸して…」と
ソフロロジー式分娩法を促す音声が流れています。
痛みレベルはこれまで経験したことのない強さに達し、
しかも波が来る度に強くなり、感覚も短くなってきます。
でも十分に赤ちゃんがおりてこない内はいきんではならず、
しっかり深呼吸し、酸素を赤ちゃんに送り届けなければなりません。
振り返ればこの「いきみのがし」が一番辛かった!!
痛いのに体に力を入れられない。
腰を浮かすのもダメ。
体をよじるなんてもってのほか。
とにかく痛くても「リラックス」して深呼吸。
臨月の頃ネットで見た出産レポートの中に「立ち会いのパパを殴った」
というのが有りましたが、その意味が分かりました。(私は押さえましたが)
そうして必死に「リラックス」してしばらく陣痛を乗り切りましたが、
時間が経つにつれ、いよいよ我慢できなくなってきました。
その時、ついに助産師さんが「じゃあそろそろやってみましょう。」
いきみ解禁です。
痛みの波に乗ってお腹に思いっきり力を入れます。
陣痛が過ぎればすぐにリラックスして深呼吸。
この休憩時間があるから何とか頑張れます。
そして何度目かのいきみのとき、バチン!!と何やら聞いたことがない
不自然な音がしたと思った瞬間、破水してました。
体の中からどぼどぼ~と生暖かい液体が流れ出るという初めての感覚。
そこからは早かった。
どたばたと助産師さんやお医者さんがやってきて分娩室が急に賑やかです。
私が分娩室に到着した際、主治医の先生が来てくれると聞かされていたのに
結局間に合わず、別の先生が駆けつけてくれたのですが、
来た瞬間「え!もうそんな出てんの!?」と言われました。
それに、後から来た助産師さんは経産婦だと聞かされていたようです。
とにかく初産としては超スピード安産だったみたいですね。
赤ちゃんの頭が出てからはもういきむ必要もなく、
先生がよいしょと出してくれました。
そんなこんなで2011年9月30日10時26分に長男は無事生まれたのです。
いつの間にかずっと部屋のすぐ外で待っていた
おばあちゃんが分娩室に入ってきていました。
赤ちゃんはすぐにはだっこさせてもらえず、助産師さんの手によって
キレイにしてもらってから、まずパパがだっこ。そしてカンガルーケアです。
生まれたばかりの長男はふにゃふにゃでしたが、力強く泣き、
誰にも教わっていないのにおっぱいに吸い付きました。
元気だなあと安心した瞬間です。
しばらくすると長男は新生児室へ運ばれていき、私は後産を終え、
局所麻酔をして会陰切開や裂傷の縫合を受けました。
今考えるとゾッとしますが、当時は陣痛の痛みに比べたら縫われる
チクチク感なんて痛い内に入りません。
驚いたのが、処置が全部終わった後、トイレに行くよう言われたこと。
「え!?」と聞き返しましたもの。
何とか自力で分娩台から降りたものの体はへとへとで足腰はふらふら。
情けないながらも車いすを借りてトイレに行きました。
こわごわでしたが何とかトイレを済まし、また車いすで病室に運ばれました。
この時丁度お昼の時間帯。
普通食が出てきましたが、さすがに全部は食べられなかったです。
パパとおばあちゃんは外にランチに行きました。
私は疲れたから眠ろうと思いましたが、やけに目が冴えて眠れませんでした。
次の日からは長男と母子同室。ドタバタ育児の日々が幕を開けるのでした。