シーズンイン!
今シーズン初汁
やっぱ大関
具は、鮭、かしわ、人参、牛蒡、薄揚げ、大根、竹輪、蒟蒻、里芋
あ~旨かった
まだこんだけある♪
明日、明後日は、さらに旨い♪
ところでさっき、生まれて初めての話題が食卓に上った。
口の中でおかずとご飯を混ぜるか否か!
ボクはだんぜん混ぜる派。
たとえばギョウザとかトンカツとか、先におかずを口に入れて
ある程度食んだのちにご飯を投入する。
おかずとご飯のハーモニーがたまらん。
ところが!
妻の場合、明太子とか佃煮とかいわゆるご飯の友は別として、
おかずが口の中になくなったのちにご飯を投入するという。
生まれてこのかた考えたこともなかった。
そんな人がおるとは。
みなさんは、どっち?
六甲プレイランド MEMORY SPACE
例のカフェのお話
MEMORY SPACE
六甲プレイランド
阪神大震災までは、名前のとおり六甲山にあったゲームセンター。
震災後、生き残ったゲーム機やつぶれた機械の基盤とかを
ごっそりこの場所に持ってきて、マスターが手作りしたらしい。
店の窓のひとつは、知り合いがやっていたコンビニの冷蔵庫のドアだと。
写真撮ってもいいですか?と尋ねると
「どうぞどうぞ、私は逃げも隠れもせず生きておりますから」
とマスター。
ほとんどのゲーム機が実働で、当時の値段(20円とか30円とか)で遊べる。
ふつうの人にとっては、あぁ懐かしいって感じだが、
マニアにとっては垂涎の機械が並んでいるようだ。
コーヒーを淹れていただき、飲んでいると
マスターから店の奥に招かれた。
「まずお客さんに驚いていただこうと思いまして」
そこにあったのは、古いジュークボックス
マスターがかけてくれたのは
サン・トワ・マミー♪
越路吹雪さんだろうか。温かいアナログの音。
そのジュークボックスがあるコーナーはこんな様子。
かつてはここでライブもしていたらしい。
ちなみにマスターは、昔ヤマハのポプコンに2年連続本選出場という実力者。
その時のグランプリが、あの世良正則。パンフレットも見せていただいた。
ますます謎の深まるマスター・・・
コーヒーテーブルに戻ると、
マスターはゲーム黎明期の開発者たちが苦労して作り上げた
メカニズムについて、現物を見せながら丁寧に説明してくれた。
しかしそれは、その後1時間あまりにもわたる、
まるでドキュメンタリー映画のナレーションのような、
マスターの深く哀しく感動的なお話の序章に過ぎなかった。
それからのお話は、必ずしも正確に覚えているとは言い難く、
断片的な記憶とマスターの言葉を交えつつ、順不同で。
◇幻のインベーダーゲーム
1974年、初めてのテーブルゲーム「ブロックくずし」が登場。
1977年、一時代を築いた「インベーダーゲーム」が、タイトーからリリース。
しかしその3年の間に、幻のインベーダーがあったことを知っている人は少ない。
それがこちら↓
1977年当時インベーダーをやっていた人は覚えているはず。
爆撃機の移動を操作するのがスティックであったことを。
ところが、この台は開発者がブロックくずしの台を流用して作ったもの。
だから画像のようにダイヤル仕様になっている。
これをもとに、タイトーが権利を買ったとのことだ。
◇大戦経験者が作ったゲーム機
1970年代のゲーム機の多くが、戦争をモチーフにしたものが多い。
どうやら、当時開発にあたった人の多くが大戦関係の技術者で、
それ以外にモチーフとして考えられるものがなかったらしい。
それはさておき、興味深かったのがゲーム機に描かれた
戦闘機や戦車などのイラスト。
素人にはわからないが、知っている人がみると、
たとえば米軍機と、それを攻撃する日本軍機の年代がずれていたり、
空冷仕様のエンジンに水冷用のベンチレーションが描かれていたり・・・
これは、イラストを描いた人が決していい加減であったわけではなく、
むしろ事実を知っていたがゆえに、あえてフィクションとして描いたとのこと。
子供たちが遊ぶゲームは、本物の戦争ではなく、
あくまで絵空事でなければならないとの思いだったのだろう。
◇明野航空学校
実は店の一角に、大戦時代の写真や日本軍の軍服が展示してあった。
さすがに写真はよう撮らんかった。
三重県にあった明野航空学校。
特攻隊のための飛行訓練の学校で、正確な言い方は忘れたが、
マスターの祖父母が寮長のような立場とまかないをされていたとのこと。
若い訓練兵からは、お父さん、お母さんと呼ばれていたそうだ。
そこから飛び立っていった兵士のこと
その直前に結婚した若い奥さんのこと
特攻機は、海上5~6mの高さを水平に飛んで敵艦に突っ込んだということ
KAWASAKI製の爆撃機のこと
零戦のゼロは、それが作られた皇紀2600年の末尾の「0」であるということ
特攻兵たちは、みんなこの世に未練をたっぷり残しながらも、
最後の最後には笑顔で飛び立っていったということ
数年前に大病を患ったマスターは、
決して戦争賛美者でもなく、右翼思想でもないけれど、
どうしても戦争を否定する側には立てない、
ただこの事実を語り継いでいく人生を選んだということ
そのために、屋根の上に三式戦闘機を自作したということ
その高さが、地上5~6mであるということ・・・
尾翼のマークは、明野航空学校のもの。
「親が死んだらグレよかな」と言う、まもなく60を迎えるマスター、
安田さん。
「この店は私利私欲でやってますから」
と言いながら、コーヒー代取るの忘れかけた安田さん。
福知山から宮津に抜けるR176の途中。
このバス停のまん前
一期一会
出会いはご縁
すべての道は、何かに通ず
いきなり一人旅 (了)
いきなり一人旅 二日目
朝ごはん、やっぱり昨日の広間で一人。
そりゃそーやろ、朝誰かおったら怖いわ!
8時過ぎにはさっさと宿を出て、進路は東へ。
途中見かけた「安寿と厨子王像」。
小さい頃読んで、ものすごく哀しいお話やなぁと思った記憶がある。
(丹後由良あたり)
そういえば今から25年くらい前も、
日本海沿いを走ったことがある。
たぶんこの道通ったんやろなぁ。
なんとなく既視感があるよーな、ないよーな・・・
そしてボクと愛馬は舞鶴へ。
突然港に軍艦が出現する。
海上自衛隊の護衛艦みょうこう。
たまたま見学日。せっかくなので乗船してみた。
若い自衛官が敬礼で迎えてくれた。
ミサイルの発射台や砲台なんかもある。
んー、なんか平和なニッポンの表と裏を見たような、
複雑な気分やった。
たぶん、昨日のカフェの後だけに、よけいそう感じたのかも。
(詳しくは次回!またか~い!)
売店があって、グッズ的にちょっと魅力的だったので、
つい買うてしもた。
自衛隊を後にして先に進むと、「引揚記念館」という標識。
気になったので行ってみると、やはり例の
シベリア抑留からの引揚船が到着した桟橋が。
バイクツーリングは音楽がないもんで、
走りながらついつい何か口ずさんでしまう。
それまではライクーダーのAcross The Borderlineとかやったのに、
この桟橋以降は、しばらく「岸壁の母」になってしもた。
母は来ました 今日も来た
この岸壁に 今日も来た
とどかぬ願いと 知りながら
もしやもしやに もしやもしやに
ひかされて
そのまま海沿いを走ると、なにやら金をかけた公共施設らしき建物や
公園が整備された街並みになってきた。
高浜市。なるほど、原発のある町は潤ってるのか?
さらに進むと、2年ほど前一躍有名になった小浜市。
小浜市からは、一路南へR162。
のどかな山道と田園風景が続く。
2日間でいちばんツーリングらしい道やった。
すれ違うライダーも多い。
名田庄~美山~京北・・・
途中、北山の茶屋。
というわけで、2日間トータル420キロ程度の一人旅。
明日からまた日常。
しつこいけど、カフェの話は次回!





























