こんばんは。
あれよあれよと言う間にもう5月も下旬が近いのですね。



今日もむすめのことです。
小学一年生になってしばらくの頃は、一緒に学校の近くまでついて行っても、それはごくふつうのことでした。
先生も、お友達もそのお母さんも顔がわかるし、何かトラブルがあれば、親が介入しても小学校の頃はそれで済むこともあったような。

中学生になってこの頃思うこと。行動範囲が広がり、直接なんとかしてあげられることは少なくなるのだということ。

公園のお砂場で。
なんとなく顔見知りになり、ただそれだけで遊べた頃から始まり、保育園や学童というただ親の仕事の関係で一緒に過ごした仲間とか。

親だとかなんだとかそういうことが関係ない友達関係が、自力で築く友情ということだと思います。と、書いてみたけど、いや、与えられた環境によって得た友人でもそれが深まるかどうかは、やはり自分次第だし、そういうことではないですね。

友達のことで。
むすめがなんか悩んでいても。話を聴いてあげることは出来ても、あとは自分でなんとかしていくしかなない。

なんとももどかしいけど、そうなんでしょうね。
(いじめとかなら話は別だと思うけど)
人間関係がどんどん変化を続けてる入学してからの今まで、それとこれから。

ひとと自分の間のこと。

これから友達との悩みによって自分のことをたくさん考えるようになるでしょう。
孤独を知るようにもなるでしょう。

そのとき、私たちはもう直接踏み込んで何かしてあげられることはない。


自分が中学生のときのこととか、色々思い出してしまいました。

だめだった自分のことは忘れていません。どのくらいだめだったかは省略します。心の閻魔帳につけたまま、あの世に持ち越します。


あまり辛い思いはしてほしくないけど…
それぞれの人生だから、せめて幸せを祈るくらいですかね。

自分も相手も心地よい距離感で過ごせる、よき友に恵まれますように

って、大人でもむずかしいんだから、もう大人も子供もあったものではありません。

見守るということは。
もやもやすること。子供のもやもやを共有こと、でしょうか。
あー。もやもや…。(笑)。