昨日は兄いがデモに行ってきた。
たくさんの、思いが同じ方を向く人たちに会えて、いい時間だったらしい。楽しいと言えば語弊はあるけど、どうやら楽しかったみたい。不謹慎と怒らないでほしい。
普段は静かで引きこもりぎみなひと(苦笑)までを、ああして、議事堂前まで引っ張り出すとは独裁者恐るべしと思った。

デモに対しても冷めて批判的な人、野党に批判的な人、戦争にはならないと思う人、徴兵はないと思う人、いろいろいるようだけど。

…。
紳士(淑女)的だったひとが牙を剥くってないだろうか。
以前何かの記事で、心理学の実験のことを読んだことがある。
実験のために普通に募集したひとを、2つのグループに分ける。
ひとつのグループは監視役、もうひとつのグループは受刑者役になってもらう。そして生活の様子を観察する。
どちらも、あくまでも実験での「役」であることはわかっている。
しかし、しばらくそのシチュエーションで生活をしてもらううちに、監視役はより高圧的で威張るようになり、受刑者役はおどおどして、ほんとの受刑者「らしく」なっていった。
ついに、監視役が受刑者役に暴力を働くようになり、危険が出てきたところで実験を終了した。
と、詳しくは忘れたけど、これは立場が人を作っていくということを表していると思う。また、架空であっても上に位置するものは下に位置するものを虐げる可能性を表している。
人間はそんなに上等に出来てないから、錯覚して、立場が上になると威張り、相手を下と認識したらどんな残酷なことをしでかさないとは限らない。そんなに知性、理性での抑制されてはいないだろう。

法案が可決し、施行されたら、国家はさらに独裁的に変わるでしょう。しれっとかつての戦前のような振る舞いをするでしょう。それが先日の強行採決一連の流れに出ていた。
本質はああいう人間たちなのだろう。下品な集団。

警察ももっと高圧的になるでしょう。街角でいきなり捕まったり、殴られたりもするかも知れませんね。自衛隊を軍隊とし、(我が軍…とか)隊員は軍人として教育洗脳すればいいし。反対側にいるものは国民に非ずと、学校でおしえよう。と可能性は広がっていく。
まさか、とは私には思えない。なにせ、権力は強大で、それを握るひとたちのこれまでを見てると、平気で嘘をついたり、民の声はシカトしているから、豹変は大有りかと。組織における立場がその振る舞いを作る。のだとすると、独裁下になれば、それらしく振舞うのが、筋かな、と。悪いほうへの想像が止まらないのである。

それにしても、決めてしまえば大人しくなるだろうとお思いか。
そうなってしまうと思う壺なんだろうと思う。見ないふり、聞こえないふり、というのも、また罪状のない罪なのだろうと思う。