さて、間が空いてしまいましたが、先日の続き…
熊本の親戚と、甥っ子と伊勢神宮に御垣内参拝をしてきました。
普段、ふつーに参拝にいくと白い布(御幌みとばり)で中が見えなくなってますが、
あの中に入って参拝できるのです。
しかし、皆が初めての経験でしきたりがよくわからない。
とりあえず、外宮の本殿までいってみる…
警備員のような人がいたので、正式参拝の受付はどこですか?
と、聞いたところ、警備員ではなくお巡りさんでした!
お巡りさんは、私の身なりを一瞥して一言。
「その格好では中には入れませんよ」
と。まぁ、それは百も承知で、事前にネットで調べたところ、
着替えるとこがあるとかあったので、そのような施設があると思いきや
そのようなものはなく、お巡りさん曰く、まず家を出る時から正装で
そのままここにくるのが正式な参拝方法なのだと。
と、そこから延々と10分近く正式参拝のルール、心構えなど
もうわかりました。と言っても長々と説明され続け、
もう聞くのも疲れてきて、最後に、長々とありがとうございました。と
少々嫌味まじりなお礼を言ってから、
外宮の駐車場にある公衆トイレの障害者用トイレで正装に着替え
本殿横にある受付にいる神主さんに参拝証を見せてから
神主さんの案内で、垣根の向こう側、玉砂利の上を歩いて、御幌の奥で
二礼、二拍手、一礼をして正式参拝とします。
あの垣根の中に入るだけで、本当に異空間に入ったような感覚です。
御幌の外の人の喧騒が嘘のように、音の無い空間のように感じます。
まさに神域。魂が震えるような感覚。日本人で良かったと思う瞬間でした。
小学生の頃、修学旅行に来たときに、内宮の鳥居の外で
神宮の中に入る事なく参拝しない子らが何人かいたりしましたが
あれは創○学会の家の子等だったのですね。
彼らは、鳥居をくぐると穢れるといい、自分らの信じる教え以外は
邪教だと言います。まぁ韓国発祥の宗教団体ですから
日本人が日本人として本来の居心地の良い場所である神社
偶像崇拝や、教えだとか、狭義だとかに縛られないものを知られることに
畏怖を抱いていたからこそ、穢れだといって遠ざけさせたとしか思えませんが。
とりあえず、外宮、内宮と両方、無事に御垣内参拝ができました。
内宮は3度ほど来たことがありましたが、外宮は初めてでした。
外宮の神様は豊受大神。天照大神の食を司る神様ですが
この豊受大神は、実はユダヤの神様、ヤハウェと同一神なのでは?という説もあります。
道路の灯篭などに六芒星があちこちにあったりして。
豊受大神の親神様である和久産巣日神が祀られている
かの麻賀多神社も六芒星があるのです。
そもそも、キリスト教もイスラム教も神道も
ユダヤ教が元になっているのですからね。
色々と繋がりはあって不思議ではありませんが、
人が狭義を作って、宗教で争いを作ってしまっているのですからね。
狭義、戒律は人の心の自由を奪ってしまうと。
今日だけは…ってやつですね。
神社、神道は何を信じていても、むしろ何も信じなくても
拒むこともなく、全てを受け入れてくれるものです。
狭義も崇拝も戒律もないのです。
神様が人の心の自由を奪うことはないでしょうし、
もし、あるとするならば、人の心がそうさせてしまうのでしょうね。
これは、外宮にある三ツ石、パワースポットだそうで。
通りすがりに何かわからず、皆が何やら手をかざしているので
真似して手をかざしてみたところ…
あたたかい!!!
いや、ほんとに!一瞬、え??って
なんか暖かい!と思って調べたところ
こういうものでした
不思議~!