神事とか神業とか、いわゆる神様と繋がってお仕事をされてる方
出雲大社の神主さんとかは代々の歴史のある神職の方ですが、
俗世とは完全に切り離された生活をしてる方が多いですね。
それでも社会の中で生きてきて、本当に選ばれて仕事させられる方、本物の神と繋がってる方は
俗世で生き辛くなるような困難な状態にさせられてるようにも思います。
こんな方がいて、こんな本がでています。
そしてそのメッセージ性も、個人的な占いのような事ではなく、
社会に影響するような、大きな出来事をお知らせされるようです。
毎月11日会といって、11日に有志が小金井の迫さん宅に集まって
降ろされた神示を聞いたり、解読したりする勉強会みたいなことをしてるそうです。
今度知り合いがこちらに行かれるそうで、面白そうな話が聞けるなら私もいこうかと。
こちらの会は色々な不思議な事もたくさん起きるそうです。
本当に神事に携わっていると、人間として生活なんてまともに出来ないんだな…とわかります。
犠牲のような生活?というのか、そうせざるをえないようにさせられるみたいです。
神示って、難解だけどその人の心の在り方がそれを解くヒントのようです。
都合のいい誰にでもあてはまるような事は言わないし、気づきを促されるというか…
実際読んでも、難解すぎて頭に残らないですが、あるふとした拍子に
あの言葉は、こんな意味?って感じの気づき?があります。深いですね。
自分が自分の能力で神に繋がって、そのメッセージを降ろすと思ってる方々もいますが、
やはり個人レベルの小さい事ばかりっていうのは、それなりのものとしか繋がってはいないんだろうな。と思います。
自分の能力。どうもそこにこだわりがあるようで、そういう方々は迫さんのような方は絶対受け入れないでしょうねw
ましてお金を払って勉強したから!という能力ならばなおさら
そこの自分の能力への依存が、他のツールや考えは受け入れない!という
頑なさなんでしょうね。これがエゴというやつですか?プライドもあるでしょう。逆に
自分が望まなくても、そういったものを持ってない人ほど、選ばれているように思いますが。
それでも、その小さな個人レベルでも、救われてる人がいるわけで、それはそれで素晴らしいですが。
括られた中にいると見えないものも、そこから離れると視野が広がるし
今迄見えなかったものも見えてくるし、何より自分の能力にしがみつきすぎて
委ねるということができないから、来るものを拒んでいるようにも思えます。
こだわりや、信じるものがある事が悪い事ではないですが、固執しすぎて何も受け入れられなくなるほど
どんどん世界は狭くなっていくように思います。流れにのるととても楽だし、そして自由なんですよ。